metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

「ことなかれ主義」を「平和主義」というクリスチャン

「ことなかれ主義」と「平和主義」は違う。
当たり前過ぎる位に違う。

「ことなかれ主義」と「平和主義」は、時に正反対の位置に座する程に違う。


多くのクリスチャンが、弱い者に「ことなかれ主義」を強要し、平和を壊す。


「平和主義」を貫いた時、そこに摩擦が起きる事は誰しも知っている。
摩擦がなければ平和など保てない時がある事も、誰しもが知っている。



多くのクリスチャンが、その摩擦を避ける事が平和だと嘘をつく。

平和を取り戻す為の摩擦を避ける事は「ことなかれ主義」という。
「平和主義」とは言わない。



普通、人は良心というものを持つため、自分が、
「ことなかれ主義」の立場に身を置く時、その良心が痛む。

自分の良心に覆いをし、「平和主義」という隠れ蓑に身を隠し、平然と「ことなかれ主義」を決め込むのはクリスチャンか、良心を持たない人くらいであろう。



イエス様ほど「平和主義」を貫いた方を私は知らない。
イエス様が「ことなかれ主義」であったなら、十字架に架けられる事もなかったであろう。




あなたが、「平和主義」という名のもとに、「ことなかれ主義」を貫ぬくなら、今日も又、泣いている弱き者が一人増えるだろう。



そして今日も又・・・
イエス様が十字架にかけられるであろう。




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私が考える日本のクリスチャン人口が少ない具体的理由・まとめ  コメント4

ここ数回、「私が考える日本人のクリスチャン人口が少ない理由」をテーマに書いているのだが・・
今日は本当に泣きたくなった。


私が書く、このテーマの記事によって、とても痛まれる牧師の先生方やクリスチャンの方がいらっしゃるのだと思うと・・・とても気が沈む。


もう一度、断っておくが、全ての牧師の先生やクリスチャンの人が、私が記事に書く様な方々ではない。絶対に違う。
むしろ正反対の位置にいらっしゃる。


ただ、私が記事にしている様なクリスチャンの方がとても多いというのも事実なのである。



このテーマについて、何回も記事にするより、
一気に書いて、取り敢えずこのテーマは一旦、横におこうと思う。
私自身、何回もに分けて書くのが嫌になってきた。




と、言うことで、今日は、思い付くまま、具体的理由を箇条書きにして、〆にしたい。


では・・いきます。
「私が考える日本のクリスチャン人口が少ない具体的理由」せ~のっ(-""-;)

★1  無責任だから
★2  他責主義だから
★3  自分達クリスチャン以外の人に感謝を持て
    ないから
★4  ど厚かましいから
★5  お行儀が悪過ぎるから
★6  人の手柄を自分の・・又は自分達クリスチ
    ャンの手柄にするから  
★7  自分達は神様に選ばれた人間だと思い上が
    っているから
★8  言葉が荒いから
★9  お金に汚ないから
★10 特権意識が強いから
★11 人の話をスルーするから
★12 自分を正当化ばかりしているから
★13 誉め言葉以外は聞こうとしないから
★14 品性に欠けるから
★15 言葉が通じないから
★16 嘘つきだから
★17 仕切る事とリーダーシップを履き違えて 
    仕切りたがるから
★18 人との関係で意味もなく優位に立とうと
    するから
★19 人を見下したがるから
★20 すぐ張り合おうとするから
★21 「自分達クリスチャンはノンクリスチャン
     のお手本になって・・」などと勘違い
    しているから。
★22 厭世的だから
★23 恩着せがましいから
★24 自画自賛が多いから
★25 権威にへつらい弱い者には威張るから
★26 自分達クリスチャンを過大評価しているか
    ら
★27 ノンクリスチャンの事を過小評価して
    いるから
★28 現実を見ないから
★29 自分に都合の悪い現実は、見ないどころか
    なかった事にしてしまうから
★30 自分がないから
★31 罪意識に極端に鈍感だから
★32 悪意を感じるから
★33 神経が荒いから
★34 乱暴だから
★35 よく話を聞いていると、自分か自分達クリ
    スチャンの自慢話ばかりしているから
★36 ノンクリスチャンに敬意を持てないから
★37 自分の十字架を人に背負わし、自分はそれ
    が当たり前の様に平気な顔をしているから



・・・・・もういい・・・。




考えなくても、まだまだ出てくる・・・。



あんまりだ・酷すぎる・・と、思われる方も多いであろう。


けれど、クリスチャンと少し深く関わったノンクリスチャンの方々の率直な感想である事も事実なのである。
親戚関係などで上記の様な事を感じていらっしゃるノンクリスチャンの数は少なくないであろうと思う。


クリスチャンホームのご家庭の悪い評判は、これでもかというくらいに聞こえてくる。


聞こえてくる度、言われても仕方がないと思ってしまう。


勿論、クリスチャンの方で評判の良い方もいらっしゃる。


しかし・・・上記の様な評判の悪さが聞こえてくる時、その対象が全てクリスチャンであるという事実を、どう受け止めたら良いのであろうか?
それも別々のクリスチャンに対しての評判である。
まして、言われる方々は普段、人の事は悪く言われない方ばかりである。
普段温厚な方々が、非常に感情的になられておっしゃるのである。
自分でも、どうしてここまで感情的になるのか分からないと、おっしゃる程、思い余っておっしゃるのである。




日本のクリスチャン人口が少ない理由は、この様な事の積み重ねの結果なのではないかと・・・
私は感じる。



どうして、クリスチャンの中に、こんなに評判の悪い人達が多いのであろうか・・・



これは、全く私の主観的な見解であるが・・
原因は・・・牧師の先生のお説教内容にあると、私は思う。
牧師の先生のお説教を素直に聞いて、そのまま実行すれば、確かに上記の様な人柄になる。
信者の方々は、非常に忠実に牧師の先生の言われる事を実行されているのである。





・・・何かがおかしい・・・と、私は思う。






最後にもう一度、全ての牧師の先生が、そうではないという事を記させて頂き、このテーマの記事は一旦、筆を置かせて頂きたいと思います。


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ルターの「藁の書簡」に想う。

ルターの「藁の書簡」の話は、あまりにも有名で、皆様もよくご存知のことと思う。

例の、新約の「ヤコブの手紙」を、ルターが、
藁の様に燃やしてしまえばよいと言って聖書から外そうとした話である。

皆様は、ルターの「藁の書簡」の話を聞かれた時、どう感じられたのだろう・・。


もし・・あの時ルターが、思い直す事なく、又、説得される事なく、ヤコブの手紙を聖書から外していたならば、今現在プロテスタントの信者にとって、聖書は、66巻ではなく、65巻になっていたのである。

「信仰義認」を打ち出すにあたり、ヤコブの手紙は非常に厄介で困った書簡であったであろう。


又、ルターが「ヨハネの黙示録」も聖書から外そうとしていたという話も有名である。

もし、これが実現していたら、プロテスタント信者にとって、聖書は全64巻になっていたわけである。


聖書、聖書と言っても、この現実を目をそらさずに見れば、何とも頼り無い話である。




「聖書のみ」と言いながら、自分が聖書より上に立ってしまったルターにせよ・・・

「恐怖政治」を行ったカルヴァンにせよ・・・・


はっきりと、そして間違いなく言える事は、
彼らも「人」なのである。



私は、ルターに権威を感じない。
カルヴァンにも権威を感じない。
牧師の先生にも権威を感じない。


私は「人」の上に権威を感じない。


私は権威主義者ではない。



ルターの「藁の書簡」について思いを馳せながら、ふと・・・・・そう思った。



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「私達クリスチャンは・・」鼻持ちならない。

「私達クリスチャンは・・・」という人に、鼻持ちならないものを感じるのは私だけであろうか・・

「私達クリスチャンは・・」という時、その人から「貴方達ノンクリスチャンと違って・・・」という声にならない心の声が聞こえてくるようだ。

「私達クリスチャンは・・・」
だからなんだというのだ。

「私達クリスチャンは・・」という言葉に、ファリサイ派など律法学者と同じ傲慢の匂いを感じるのは私だけであろうか・・・・


一番弱い所に立たされた時に、より頼む神。
一番弱い所にいつも目を向けられ助けて下さる神。

名前を知らなくとも、その神に祈る時・・・
異邦人も、ノンクリスチャンも同じ神に祈っているのだと私は思う。

貧困で供え物を供えるお金がなくても・・・
病で倒れていても・・・
穢れていると蔑まれていても・・・
住むところがなくても・・・

いつも、そういうところに一番目を向けられ・・・そして働いて下さる神。

一番弱い所にいる人間が、そんなあなたを置いて、何処へ行けるというのだ。


「私達クリスチャン・・・」



神は、私達クリスチャンだけのものではない。




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「御国がきますように」が、いつのまに・・・  コメント2

主の祈り・・・。
大好きな祈りである。
この短い祈りの中に、自分の思いが全て表現されている。
私にとってパーフェクトの祈りである。


「御国がきますように」・・・

いつのまに、「御国に行けますように」・・・
に、なったのであろう・・。

あなたの国が、きますように・・という祈りは、この世にいる私達の切実な願いである。

それが何故、いつのまに「御国に行けますように」
・・・という祈りに変わってしまったのだろう。


「御心が天で行われる様に地でも行われますように」・・・と続く祈りは、この世に対しての切実な祈りである。

あなたの思いが、天と同様に地でも行われる様にという願いは、しっかりと、この世の生活に根付いた祈りである。

殉教者達は、「天で行われることが地でも行われる」ことを切望し、その為に命を捨てたのである。
まさしく、「死んで生きた」のである。
生きるために死んだのである。


天ばかりを見て、地(この世)を見ないなら・・
そして、地(この世)を見て何もしないなら・・
クリスチャンの言葉なんて空しいばかりである。
何の意味も持たない。


天の「御国」ばかり見て、地を見ず、そして地を見ても何もしないで、
「御国に行けますように」とばかり祈るなら、
「御国がきますように」という祈りは、意味がなくなってしまう。


天の「御国」ばかりを見て、地を見ないなら、
そして見ても何もしないなら・・・
殉教者の死は、無駄死にになってしまう。



「御国がきますように」という祈りを、意味のないものにしてしまってはいけないと、私は思う。

殉教者の死を、無駄死ににしてしまってはいけないと、私は思う。



「地」を、「この世」を、しっかり見て、あなたの国が少しでも実現する様に働く・・・・。
あなたの思いが行われるこの世になる様に、働く。


それがクリスチャンだと・・・私は思う。


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私が考える日本のクリスチャン人口が少ない具体的理由3「失礼だから」

失礼なのである。

兎に角、クリスチャンの中に、失礼な人がとても多いと私は感じる。

クリスチャンの考える失礼と、ノンクリスチャンの考える失礼とは、ひょっとして違うのではないかとさえ感じる。


例えば・・・・

自分の知らない世界について、さも知っているかの様に悪口を言ってはいけないのである。
小学生でも知っている事である。

良く知りもしないのに、相手の信じている宗教の悪口を言ってはいけないのである。
その宗教の教えを信じている人の悪口や、その宗教の悪口を言ってはいけないのである。

「いや、悪口ではない❗」・・・という声が聞こえてきそうである。

否。悪口である。


何故なら、貴方は、その宗教の事を良く知らないからである。
相手は、その道のエキスパートだったりするのだ。
相手は、5年、10年、15年、20年とかけ、その道の勉強をしてきた人だったりするのだ。
貴方が、たかだか数年勉強して、本を数冊読んだところで相手の足元にも及ばない。
少しかじって、人から話を聞いて・・・位では
知らないのと同じなのだ。
自惚れてはいけない。

もし、貴方が、相手の宗教を10年20年かけて、それも片手間ではなく、しっかり勉強して、言いたい事があり、それを相手に言うのなら、これは、
悪口ではないであろう。
それは健全な批判かも知れないし、問題提起かも知れない。

当たり前の事だが、批判と中傷誹謗は違う。


健全な批判は真実の追求に繋がる可能性を持つが、中傷誹謗は、単なる悪口でしかない。



良く知りもしない、相手の宗教の事や、それを信じている人の事を、「間違っている」と、断言するのは、ハッキリと誹謗中傷であり、悪口なのである。
と、私は思う。

もし疑問があるのなら、自分の知っている範囲内で相手に質問すれば良い。
知らない事を謙虚に相手に尋ねて、教えて頂けば良い。
それならお互い敬意を持って会話が出来る。


少しの質問で、その道のエキスパートの方が言われる事が解る程、どの道も甘くはない。

健全な批判をするのなら・・・・
沢山沢山質問して、何年もかけて自分でも勉強し、分からない事は又質問して・・・
それから、自分の知っている範囲内で、敬意を忘れずやれば良い。

それならまだ失礼にあたらないであろう・・と
私は思う。


他の事でもそうである。


哲学について「間違っている」と、言いたいのなら、その道のエキスパートと同じ位勉強してから健全な批判をして欲しいと思う。
ちょこっとかじった程度で「間違っている」と、断言するのは、単なる幼稚な悪口でしかない。



なんとも面白い話があり・・・。

昔、牧師の先生が、聖書を引用して太宰治を「間違っている」と、断言されていた。
よほど太宰を研究されているのかな・・・と、思っえば、殆ど太宰の作品を読んでいないのが、まるわかりのお話しを続けておられる。
「駆込み訴え」さえ読んでいないのが、まるわかりのお話しなのである。
太宰ファンなど、今も昔も山の様にいるのですから、「あっ、この先生、太宰作品は殆ど読んでないんだ。知らないんだな」・・・というのは、すぐバレる。
どうしたら、自分の読んでいない作品を「間違っている」と、言えるのだろう??・・・。
なんとも非常に不思議で面白い話しである。

これも、上記の2例と同じで、太宰治の作品を、数冊読んでいるかいないかの状態で、太宰を「間違っている」と断言するのは、ハッキリと悪口なのである。





悪口ばかり言う人というのは、プライベートなお付き合いでも煩わしいけれど、仕事の場で、これをされると、トラブルが起こり周りに迷惑をかける。





悪口ばかりを言っている人というのは「失礼」な人である。



特に、日本は礼節を重んじるお国の様なので、
牧師の先生が先頭になって「悪口」ばかり言っているコミュニティには関わりたくない。と、多くの日本人は思うであろうと私は感じる。



日本のクリスチャン人口が少ない理由として、こういう理由も、かなりあるのではないかと私は思う。




失礼な人達の仲間になりたいと思う日本人は、
余りいないと・・・私は思う。





追記:勿論、全てのクリスチャンや、牧師の先生がそうではありません。

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日本のクリスチャン人口が少ない理由2「全体主義の匂いがするから」

喧嘩をしたくなければ「政治・宗教・野球の話はするな」とは、良く言ったものである。

野球はともかく、それらは、個々それぞれに、強い拘りを持ち、その拘りは、その人の核となるものだったりする。
そして、その拘りは、「他は譲れても、それだけは譲れない」という、自分の命より大切なものだったりもする。
まったく違う譲れないものが、ぶつかり合うのだから、争いが起こるのは、無理もないと感じる。


・・・・という前置きをしておいて「全体主義」の
話をしようとしている私は、どうなんだ?と、思いつつ、したいのでさせて頂く。(^^;






今の日本人は「全体主義」が、嫌いな人が多いと、私は思う。
本質的に「全体主義」が、嫌いな気質かどうかには、大きく疑問はあるが、歴史的な経験上、「全体主義」の怖さと悲劇を、身をもって知っているのが、今の日本人である。
確かに、身をもって知っている世代の方が高齢化してはいるが、風化させない様にと、新しい世代に繋いでいこうとしているのが、今の日本である。
(最近では、それも怪しくはなってきているが・・)



さて・・・
そういった日本人が、ある時、個々様々な理由で教会の門を叩く。
多くの日本人の、「イメージとして」の、教会やクリスチャンは、優しく、寛容で、謙虚で・・・と、いう人が多い。
あくまでイメージとしての教会である。



そういうイメージを持った日本人が、
ある日、教会の門を叩く。
次いで、牧師の説教を聞き、クリスチャン達の「感じ」を見る。



そして感じる。
・・・・・「何か違う」・・・と。



その「何か」とは、匂いなのだろうと私は思う。
何の匂いかというと・・・・・
全体主義の匂い」なのだろうと私は思う。
日本人の多くは「全体主義」に拒否反応がある。


ここで、その人は教会に行きたいとは思わなくなる。




次に・・・
たまさか、その人が、クリスチャンからラブシャワーを浴びせられ、その「匂い」に気が付かなかったとする。
そして、暫く教会に留まるうちに感じだす。


「権威」の匂いを感じだす。


牧師の権威
親の権威
夫の権威
男性の権威
そして・・・
教会の権威
聖書の権威・・・・・を。

「弟子訓練」という言葉にも、はっきり権威を感じだす。
「リーダーシップ」という言葉も、ノンクリスチャンの間で言うところのリーダーシップとは又違う、おかしな権威を感じだす。



権威主義」は「全体主義」につながる。
日本人は「全体主義」は嫌なのである。



嫌だから、教会から離れる。



日本にクリスチャン人口が少ないのは、こういった理由も、少なからずあると私は思う。




私は、今の教会に日本人が多く集まり出す時は、
全体主義」が嫌ではない日本人が増え出した時ではないかと思っている。


私は、それが恐い。


若者はエネルギッシュであるが故、そのエネルギーを、老獪な大人達に利用されやすい。


私は、本当に恐い。


     
 ❇権威について思う事を、もう少し
       詳しく書きたかったのですが、
       話がそれてしまうので控えました。
       又、記事で書かせて頂きたいと
       思いますm(._.)m


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