私が考える日本のクリスチャン人口が少ない具体的理由3「失礼だから」
失礼なのである。
兎に角、クリスチャンの中に、失礼な人がとても多いと私は感じる。
クリスチャンの考える失礼と、ノンクリスチャンの考える失礼とは、ひょっとして違うのではないかとさえ感じる。
例えば・・・・
自分の知らない世界について、さも知っているかの様に悪口を言ってはいけないのである。
小学生でも知っている事である。
良く知りもしないのに、相手の信じている宗教の悪口を言ってはいけないのである。
その宗教の教えを信じている人の悪口や、その宗教の悪口を言ってはいけないのである。
「いや、悪口ではない❗」・・・という声が聞こえてきそうである。
否。悪口である。
何故なら、貴方は、その宗教の事を良く知らないからである。
相手は、その道のエキスパートだったりするのだ。
相手は、5年、10年、15年、20年とかけ、その道の勉強をしてきた人だったりするのだ。
貴方が、たかだか数年勉強して、本を数冊読んだところで相手の足元にも及ばない。
少しかじって、人から話を聞いて・・・位では
知らないのと同じなのだ。
自惚れてはいけない。
もし、貴方が、相手の宗教を10年20年かけて、それも片手間ではなく、しっかり勉強して、言いたい事があり、それを相手に言うのなら、これは、
悪口ではないであろう。
それは健全な批判かも知れないし、問題提起かも知れない。
当たり前の事だが、批判と中傷誹謗は違う。
健全な批判は真実の追求に繋がる可能性を持つが、中傷誹謗は、単なる悪口でしかない。
良く知りもしない、相手の宗教の事や、それを信じている人の事を、「間違っている」と、断言するのは、ハッキリと誹謗中傷であり、悪口なのである。
と、私は思う。
もし疑問があるのなら、自分の知っている範囲内で相手に質問すれば良い。
知らない事を謙虚に相手に尋ねて、教えて頂けば良い。
それならお互い敬意を持って会話が出来る。
少しの質問で、その道のエキスパートの方が言われる事が解る程、どの道も甘くはない。
健全な批判をするのなら・・・・
沢山沢山質問して、何年もかけて自分でも勉強し、分からない事は又質問して・・・
それから、自分の知っている範囲内で、敬意を忘れずやれば良い。
それならまだ失礼にあたらないであろう・・と
私は思う。
他の事でもそうである。
哲学について「間違っている」と、言いたいのなら、その道のエキスパートと同じ位勉強してから健全な批判をして欲しいと思う。
ちょこっとかじった程度で「間違っている」と、断言するのは、単なる幼稚な悪口でしかない。
なんとも面白い話があり・・・。
昔、牧師の先生が、聖書を引用して太宰治を「間違っている」と、断言されていた。
よほど太宰を研究されているのかな・・・と、思っえば、殆ど太宰の作品を読んでいないのが、まるわかりのお話しを続けておられる。
「駆込み訴え」さえ読んでいないのが、まるわかりのお話しなのである。
太宰ファンなど、今も昔も山の様にいるのですから、「あっ、この先生、太宰作品は殆ど読んでないんだ。知らないんだな」・・・というのは、すぐバレる。
どうしたら、自分の読んでいない作品を「間違っている」と、言えるのだろう??・・・。
なんとも非常に不思議で面白い話しである。
これも、上記の2例と同じで、太宰治の作品を、数冊読んでいるかいないかの状態で、太宰を「間違っている」と断言するのは、ハッキリと悪口なのである。
悪口ばかり言う人というのは、プライベートなお付き合いでも煩わしいけれど、仕事の場で、これをされると、トラブルが起こり周りに迷惑をかける。
悪口ばかりを言っている人というのは「失礼」な人である。
特に、日本は礼節を重んじるお国の様なので、
牧師の先生が先頭になって「悪口」ばかり言っているコミュニティには関わりたくない。と、多くの日本人は思うであろうと私は感じる。
日本のクリスチャン人口が少ない理由として、こういう理由も、かなりあるのではないかと私は思う。
失礼な人達の仲間になりたいと思う日本人は、
余りいないと・・・私は思う。
追記:勿論、全てのクリスチャンや、牧師の先生がそうではありません。
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