metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

寂しい人

何が辛いかと言われれば、

寂しい人を見るのが、今は一番辛い。


寂しくても、友達もいなく、
寂しくても、話相手もおらず、
寂しくても、自由に何処にも行けない・・・

そんな寂しい人に呼ばれても、

すぐに行けない事が、とても辛い。



気丈な人の「大丈夫」は、
「寂しい」の裏言葉。

気丈な人が小さな声で漏らす「寂しい」は、
耐えられない人恋しさに泣く叫び。


寂しい人は、イエス様を側に感じるけれど・・・
私も、寂しいあなたの側にいたい。


あなたと私と一緒に、イエス様の側にいたい。



あなたが寂しいと・・・

私も寂しい。


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搾取するクリスチャン達(コメント4)

「最近風当たりが強い」
又は、それに類似した話を、私は、
クリスチャンや牧師さん達から、よく聞かされる。

教会以外の・・・
つまり世の中のコミュニティーで、色々と叩かれるらしい。

よく話を聞いていると、
「それは、叩かれても仕方ないなぁ」
「当然、風当たりが強くなるわよ・・それは」
と、思ってしまう。


本人達は、
「自分達は神様を信じているクリスチャンで、その信仰故に風当たりが強いのだ」
・・・・と、思っている。


それは、全然違う。
全く、ズレている。
信仰は、全く関係ない。
相手は、貴方の信仰など全く関係無しに、
貴方に怒っているのである。



クリスチャンが、教会以外のコミュニティーで、
相手を怒らせる理由は色々ある。

理由は色々あるが・・・
その中で相手を本気で怒らせる一番の理由は、
「搾取」である。

教会に熱心通う人程、この、人の大切なものを、
「搾取する」・・という傾向が強くなる。
不思議と、教会から離れているクリスチャンには、この傾向はあまり見られない。


困った事に、教会に熱心に通うクリスチャンや、
一部の牧師さん達は、自分達が人の大切なものを「搾取」しているという自覚が全く無い。

それ以前に、「搾取」そのものが、どういう事なのか具体的に説明しないと、認識出来ないのではないかというふしがある。




代価無しに、
人の時間を奪うのは、立派な「搾取」である。


代価無しに、
人の労力を奪うのは、立派な「搾取」である。


代価無しに、
人が築いてきたものを奪うのは、立派な「搾取」である。





こういう事は、普通、世の中の人はしない。

しかし、熱心なクリスチャンや一部の牧師さんはする。


そして彼(彼女)らは、この「搾取」をしている自分に、気が付いていない。


簡単に、平たく言ってしまえば、
おそろしく、「厚かましい」のである。


例えて言えば・・・
パン屋さんに行ってパンを買えば、パン代を払う。
パン屋さんに行って、好きなだけパンを自分の籠に入れ代価を払わなくて当然として持ち帰れば、パン屋さんは、当然怒る。


これは解りやすく言う為の単なる例えではあるが、
こういう事を日常的にしているから、
教会以外のコミュニティーで、
「風当たりが強く」なるのである。


誰も、払えないものを払えとか、出来ない事をしろなどは言わない。
色んな人が世の中にいる事は確かだが、以外に情のある人が世の中には多い。
私もそんな非情な事は言わない。



しかし、熱心なクリスチャンや一部の牧師さんは、「タダで貰って当然」の日常を繰り返すから、
風当たりが強くなるのである。



自覚無しに「搾取」する、クリスチャンと呼ばれている人達。


何故、彼(彼女)らがそうなるのか・・・・は、

又、いつか記事で書きたいと思う。

どうして教会以外のコミュニティーで、
「風当たりが強い」のか・・・

理由は、搾取である。



つまり・・・

とてつもなく「厚かましい」

それが、理由である。



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わたし、頑張ってます!

「わたし、こんなに頑張ってます❗」

そのアピール、いりません。
貴方だけが頑張っているわけではありません。



「わたし、こんなに良い人なんです❗」

そのアピール、いりません。
貴方何の為にそれを私にアピールするのですか❓自分だけ「特別」に気に入られたいのですか❓
それは無理な注文です。悪しからず。



「わたし、こんなに子供を聖書的に厳しく躾ているんです❗」

そのアピール、いりません。
だから何なのですか❓
厳しく躾ようが、貴方の言うところの甘く育てようが、結果が良ければ正解なのです。 
貴方のお子様をご覧なさい。
結果は出ています。



「わたし、こんなに良い奥さんなんです」

そのアピール、いりません。
他の方も良い奥さんです。



わたしって、わたしって、わたしって・・・・と、
人に、どう評価されるかばかりを気にする
クリスチャン達。


「私を通して神様の証」をしようとして、
人に、どう評価されるかばかりを気にする
クリスチャン達。


ついには、・・・
神様に、「わたし」は、どう評価されるかばかりを気にするクリスチャン達。


自分、自分、自分から離れられない
クリスチャン達。



ピュアに相手に向き合えないから、
ピュアに物事に向き合えないから、
ピュアに神様に向き合えないから、


いつまでたっても、濁ったままで、
濁っていることにさえ、気付きもせずに、

いつまでたっても、自分から離れられずにいる。



人に優しい「自分」しか見えない。
人の為に何かをしている「自分」しか見えない。
神を賛美する「自分」しか見えない。



貴方が愛しているのは、
人でもなく、
神でもなく、


貴方が愛しているのは・・・

自分自身である。


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偽善が奪うもの

人には、命より大切なものというのがある。

キリスト者でなくても、どんな信仰を持つ者であっても、持たない者であっても、

人には、命より大切なものというのがある。



慈善活動、所謂ボランティアというものをされている方々に対して、
「偽善的だ❗偽善者だ❗」と言う人達がいる。

それに対して、昔、まだ学生だった頃の私は、
「何故、そんな事を言うのだろう?」・・・と、
疑問に感じていた。

又、「もし偽善であったとしても、今、目の前の人達が飢えから救われ、寒さから守られ、淋しさから逃れる事が出来るなら、偽善であろうが無かろうが良い事ではないか」・・・とも思っていた。



その考えが大きく覆されるようになったのは、
卒業して、何年も何年も経ってからの事だった。


人は、飢えても奪われたく無い大切なものがある。
人は、寒さに震えても奪われたく無いものがある。
人は、孤独に悶えても奪われたく無いものがある。


人間として生まれ、人間として生き、人間としてこの世を去る迄、
人は、人間としての尊厳を保ち生きていきたい。


一切れのパンの代償に、
命より大切なものを奪われた時、

1枚の毛布の代償に、
命より大切なものを奪われた時、

淋しさを埋める代償に、
命より大切なものを奪われた時、

人は人として生きれなくなる。


偽善は、
命を助け、命より大切なものを奪う。


慈善活動(ボランティア)にしても、介護にしても、全ての事において、何かをする時、
人は人の命より大切なものを奪ってはならない。と、私は思う。


特に、クリスチャンと呼ばれる人達は、
自分は、本当に人が命より大切にしているものを奪っていないか・・・を、

心して自ら省みる必要がある・・・

と、私は感じている。



勿論、私も・・・

常に、心して省みる必要があると・・・

祈りのように自分に問いかける。



★★最後に、蛇足になりますが、言うまでもなく私は、慈善活動(ボランティア活動)を否定している訳ではありません。むしろ大肯定しています。
今日の記事は、その在り方について書かせて頂いています。誤解を招かぬ様、念の為に追記致しますm(._.)m。★★


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はじめまして(^.^)ワインです。

昨日の記事ではクリスチャンと呼ばれている方々に、「客観的に自分達を見つめ直してみるのは如何でしょうか?」・・・と、上から目線承知で一冊の本を紹介させて頂きました。

ので・・・
今日は、「私という人間」を自分自身、客観的に見つめ直してみたいと思いました。

「私という人間」に、ご興味など無い事は重々承知しておりますが、書きたい要求を抑えられないので自己満足の為に「自己紹介」という形で、書かせて頂きます(^^;

お目汚しをば🙇🙇


♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥

はじめまして(^.^) ワインです。

これでも一応、洗礼は受けています。

クリスチャンのつもりですが、神様からご覧になったら「おまえは違う」と、言われるかも知れないクリスチャンです。

よく笑い、よく泣く喜怒哀楽の激しい性格です。



のんびり屋さんですが、現状忙しく、しぶしぶと、バタバタした日常を送っています。

とても「いいかっこしい」です。その為、
忙しくても、暇そうに見せたく、
しんどくても、元気に見せたいところがあります。

単なる見栄っ張りです。



人間関係は「仲良し」が、基本的に好きです。

「仲良し」は大好きですが、
「ベタ~」っとした関係は大の苦手です。

ひとりが、苦痛なタイプではありません。

カフェで、一人で珈琲を飲む時間が好きです。
レストランで、お一人様ランチの時間も大好きです
・・・が、そんな一人の時間を持つのが難しい現状です(^^;



見た目は「優しそう」に見えるそうです。

あくまで、優し「そう」です。

看板に偽り有りだと、親しい人は知っています。



気性は、かなり激しいかと思います。

気も弱いようで、かなり強いです。
そして・・強いようで、かなり弱くもあります。



嫌いなのは、
~でなければならない!全般です。

~でなければならない!
を、全くする気はありません。

こんな私ですから、一部のクリスチャンの方からは「とんでもクリスチャン」
「優しさの無い、冷たいクリスチャン」
・・と、非難されるに値する資質満載の人間です。

しかし私は、
「とんでもクリスチャン」上等!
「優しさの無い、冷たいクリスチャン」上等!
と、本気で思っています。

おまけに、
貴方達の言う「優しさ」って何ですか?
貴方達の言う「温かさ」って何ですか?
貴方達の言う「とんでもある」って何ですか?

と、反骨精神旺盛なタイプです(^.^)



最後に好きなタイプは、
セクシーな人です。

私が、セクシーに感じるのは、
精神的に品格のある人です。

そう・・・有名人に例えて言うならば・・


エス様のような人です♥



このように、とんでもない私ですが、

どうぞこれからも宜しくお願い致します(*^^*)

♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥

支離滅裂な、自己紹介を、最後迄お読み下さり有難うございましたm(._.)mm(._.)m


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平気で嘘をつく人達(コメント7)

「平気で嘘をつく人達」
原題は「虚偽の人々」
もう、何年も前にベストセラーになった本である。
読まれた方も多いと思う。
私もフラッと寄った本屋さんで、タイトルに興味を惹かれ購入した。


ちょうどその時期、私は、仕事上で関わりのあった牧師家庭及び、クリスチャンホームの人達の事で、始終問題を抱え、頭を悩ましていた。


何気なく買ったこの本・・・。

読み進むうちに鳥肌がたってきた。
そして、驚きの連続だった。

何故なら・・・
その時に関わっていた牧師家庭とクリスチャンホームの人達をモデルにしているのではないかと思う位に、この書に取り上げられている人々が、同じ特質を持っていたからである。

この本は、アメリカを舞台に書かれている。
なので、私が身近に接している日本にいる二家庭をモデルに出来る筈が無いのは言わずもながではあるが・・・
全く同じと感じる程に類似していた。


少し話が逸れるが、私は今現代の、
「クリスチャン」と「クリスチャンと呼ばれている人」とは別者だと思っている。

そして、アメリカという国には、
クリスチャンと呼ばれる人は大勢いるが、
クリスチャンは少ない国だと、私の中では認識している。

「平気で嘘をつく人達」の著者であるM・スコット・ペックは、この著の中でモデルとして紹介した
人々の特性を「悪性なナルシズム」だとしている。
そして・・・
★どんな街にも住んでる、ごく普通の人★・・・と言っている。


しかし・・・
この著に書かれている人達は、日本では余り出会う事の無い、変わった人達である。
この著に書かれている人達を、
★どんな街にも住んでる、ごく普通の人・・・とするのは、クリスチャンと呼ばれている人が多いアメリカに住んでる著者ならではの認識なのだろうと強く感じた。


私の頭を悩ました、牧師家庭とクリスチャンホームの人達も、アメリカに住めば、スコット・ペックが言うところの、悪性ナルシズムという特性を持った、どんな街にも住んでる、ごく普通の人・・・なのであろう。


しかし、やはりこの日本では、滅多に出会う事の無い困った人達である。




この日本にクリスチャン人口が少ない事を嘆く、クリスチャンと呼ばれる人達は多くいるが・・・
私は、アメリカの様にクリスチャンと呼ばれる人が、この日本に多くならない事を願っている。

この日本にクリスチャンと呼ばれる人が多くなったが最後、悪性ナルシズムという特性を持った、平気で嘘をつく人達が増えてしまい、おちおち安心して暮らす事が出来なくなる。



もし・・・
もし貴方が、日本にクリスチャン人口が少ない事を嘆いておられるなら・・・
その理由の一つをご存知になりたいなら・・・
そして、自分を、又、自分達を客観的にご覧になってみたいと、針の先程でも思われるのなら・・・


「平気で嘘をつく人達」


この本を、是非とも一読される事を・・・

私はお薦め致します。



今日は、長い文になってしまいましたm(._.)m
読み辛さもあるこの文を、最後までお読み下さり有難うございましたm(._.)m


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「無知」ということ(コメント6)

私は、「無知」が恐い。

ただ「知らない」というだけなのに・・・
それが恐い。


自分では、良かれと思ってした事なのに、
自分では、良かれと思い言った事なのに、
自分では・・・
それは、自分も人も傷つけないと思っていたのに、

「無知」だったと、
ただ、一点それだけの事で、

人を傷つけ、
弱き者を虐げ、
時には、人の命さえ奪ってしまう事さえある。


良かれと思ってした事なのに、
「無知」であるが故に、人を虐げる者達に加担してしまっていたという事がある。


だから私は「無知」が恐い。



だが誰も、どんな人も・・・
この「無知」から逃れる事は出来ない。

祈るしかないと感じてしまう。



しかし、私が一番恐いのは、

「信仰にかたく立つ」という、ただ自分を守るだけの城壁の中で、

聖書に書いているからと、
自分がクリスチャンだからだと、
自分達は、それを基に正しい判断が出来ると、

神の名を借りて自分を「知恵ある者」とし、

一点たりとも自分の「無知」を疑ってみる事をしない、砦の中の住人達が一番恐い。



そして、いつの時代も・・・

ただ自分を守る事を「信仰」と呼ぶもの達が、

人を殺める。



無知は恐い。


しかし、信仰という名に守られた無知は、

もっと恐い。


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