「無知」ということ(コメント6)
私は、「無知」が恐い。
ただ「知らない」というだけなのに・・・
それが恐い。
自分では、良かれと思ってした事なのに、
自分では、良かれと思い言った事なのに、
自分では・・・
それは、自分も人も傷つけないと思っていたのに、
「無知」だったと、
ただ、一点それだけの事で、
人を傷つけ、
弱き者を虐げ、
時には、人の命さえ奪ってしまう事さえある。
良かれと思ってした事なのに、
「無知」であるが故に、人を虐げる者達に加担してしまっていたという事がある。
だから私は「無知」が恐い。
だが誰も、どんな人も・・・
この「無知」から逃れる事は出来ない。
祈るしかないと感じてしまう。
しかし、私が一番恐いのは、
「信仰にかたく立つ」という、ただ自分を守るだけの城壁の中で、
聖書に書いているからと、
自分がクリスチャンだからだと、
自分達は、それを基に正しい判断が出来ると、
神の名を借りて自分を「知恵ある者」とし、
一点たりとも自分の「無知」を疑ってみる事をしない、砦の中の住人達が一番恐い。
そして、いつの時代も・・・
ただ自分を守る事を「信仰」と呼ぶもの達が、
人を殺める。
無知は恐い。
しかし、信仰という名に守られた無知は、
もっと恐い。
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