metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

女性は媚びないほうがいい

女性は媚びないほうがいい。

気に入られようとして、
へつらったり、おもねったりしないほうがいい。


そのほうが美しい。



貴女が媚びると、パートナーは貴女を大切にしない

貴女は惨めになる。


私は、貴女の惨めな姿を見たくない。



女性が媚びると、
男性は、いつまでもたっても男になれない。

女性が媚びると、
男性は、いつまでも美しい女に会う事が出来ない。



媚びることなく、
さりとて、ツンツンすることもなく、

貴女の・・そのままのキャラクターで・・

パートナー同士、お互い大切にしあいたい。



パウロも、女性に媚びろとなど一言も言っていない。

女性を媚びさせていた、今迄の伝承に、コリント1で、やんわりとNOサインを出してくれている。



そして・・・

これから女性になってゆく少女達よ、


媚びることなく、
 
凛として、

心の姿勢をピンと伸ばし、


その美しい花を命いっぱい咲かせておくれ。



いつの日か年をとって、老人になっても、


貴女は美しい花。



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「こんにちは」
振り向くと、優しい目をした青年がニッコリ。


大きくなったね。
大きくなったね。


私の腰位までの背丈しかなかった小さな少年が、
今では私を見下ろしながら優しい笑顔で、
「こんにちは」(^.^)


小さい頃から、障害を持っていたので、
少し不便で大変な時もあったけれど、

朝から晩まで、休む暇もなく働く、
シングルマザーの明るいママのもとで・・・

こんなに立派で素敵な青年に育ったんだね。


私が育てたわけでも無いのに、抱きしめたいくらいに君の事が誇らしい。



大きくなる迄に、
周りから色んな事を言われたけれど、

これからも、色んな事があって、心無い人に色んな事、言われるかも知れないけれど・・・


「お姉ちゃん、家のカギ忘れて家に入れないの」
と、困ったような、はにかんだような、澄んだ目をして、私の家に訪ねて来た時の・・・

今も変わらない、
その優しい笑顔を失くさないでいてね・・・と、

おばさんになった、お姉ちゃんは祈っています。


君は光。

君の優しい笑顔は、温かい光。

君の素敵な笑顔は、周りを照らす光。

君は光の子。



今から、お仕事なのね(^.^)

「いってらっしゃい」。
気を付けて。頑張ってね(^.^)



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卑屈と謙虚を履き違えるクリスチャン達(コメント5)

私は元来、基本的にあまり人を怖がらない。
何故か解らないが、昔からそうである。

そのせいか、クリスチャンと呼ばれる人達を見ていると、何故そんなに人を怖がるのだろうと思わされる事が多く不思議に感じる。

特に、牧師・長老・先生・先輩・社長・上司という立場の人達を怖がる。

その中でも、牧師・長老という立場の人を、極端に怖がるクリスチャンが、とても多いように感じる。

牧師や長老が、甚だ失礼な事を言ったり、理不尽な態度をとっても、「はい・はい」と俯いたりしている。

その姿は、あまりに卑屈で、見ていて哀しささえ感じてしまう。



相手が誰であれ・・・
失礼な事を言われた時は、マナーを持ってキッチリ抗議するか、ニッコリ笑ってサッと席を立ち2度と関わらない様にするか(他etr )・・・
が健全な対応だと私は思っている。


牧師や長老の「クリスチャンだから謙虚でいなさい」という言葉のもとに、相手から傲慢不遜で失礼な事をされても「ハイ。ハイ。」と神妙にしている。


その態度は、「謙虚」とは言わない。

その態度は、「卑屈」という。




エス様は、卑しいとされる生まれでありながらも、一度たりと、「卑屈」な態度を取られた箇所など、聖書には見受けられない。

いつも、優しく、堂々とされている。


あなたが、現代の律法学者やファリサイ派などの指導者に毅然とした態度をとらない限り、み国など来ない。・・・と私は思う。

あなたが怖いと思っているものは、
あなたが自分の心の中で創った、亡霊のかげろうだ


かげろうなど何も怖くなどないではないか。


「卑屈」に高圧的に生きるより、
「謙虚」に堂々と生きていきたいと私は願う。


優しく・・・

堂々と。



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何様教会(コメント2)

何様教会には何様が沢山いる。

少し前の流行りの、
マウンティング女子はもとより
マウンティング男子・・・
ついには、マウンティングチルドレンまで居たりする。


何様教会のマウンティングピープルは、
教会の外でも、その磨き抜かれたマウンティングぶりを発揮する。


そして、密かに嫌われる。



自分のマウンティングぶりを自覚出来ないマウンティングピープルは、何様教会の仲間たちと、
「やはり、世は私達を嫌うのだ。聖書に書いてある通りだ。」・・・と、更にマウンティングトレーニングに励む。

選民意識は、トレーニングにより山上のてっぺん迄登りつめる。


そこで、「山上の説教」などをすると・・・
一気にお笑いの世界に突入だ。



世の人が、何様教会の人に対して、ありのままの判断をした途端、何様教会の住人達は平常心ではいられなくなる。
裸の王様は心の中で怒り出す。


「私を何様だと思っているの!」
「俺を何様だと思っているんだ!」
「僕を何様だと思ってんの!」



あなたは・・・何様でもない。


あなたは・・・
何様でもない、ただのあなただ。


何様で、ある必要などない。
何様かになろうとする必要もない。


私は、・・・

何様でもないあなたが大好きだ。



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自分が助かったなら・・・(コメント2)

今日は、前回の記事「イエス様の黙っているな」
に関連した、私の気持ちを綴りたいと思います。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦


自分が助かったなら・・・


次にすることは、イエス様が教えて下さるだろう・・・と信じている。

時も、事も、イエス様が教えて下さるだろう・・・と信じている。


根拠は無い。何もない。
ただ信じている。



次にする事が、出来ないと思う事であったとしても

それはそれで、イエス様が、いいようにして下さるだろう・・・・と、信じている。


根拠は無い。何もない。
ただ信じている。


殆ど私は丸投げ状態である。


今はただ、
独りでは担いきれないと感じる日常の中で、

病に俯く家族を大切にし、
仕事を大切にし、
誰をも威圧しないように心がけ、
沢山の人を愛しく思ったり、腹立たしく思ったりしながら、

病に俯く家族と、
時には共に泣き、時には共に大声で笑いながら、
精一杯生きて生きたい。


そして・・・
今のイッパイイッパイの日常から、もっと余裕のある日々を家族とおくれる時が来る・・・
と、何故か信じている。

根拠は無い。何もない。
ただ、信じている。



そして私が助かったなら・・・
次は、誰かが助かる為のお手伝いを微力でも、何らかの形でさせて頂ける・・・と、信じている。


根拠は無い。何もない。
ただ信じている。


泣く日も、笑う日も、

こうして生かされている今が、この瞬間が
ただ有難い。

今まで沢山沢山助けて頂いて、こうして今、過ごさせて頂いている、この瞬間が有難い。


・・・・・・・。


根拠は無い、何もない。

泣き、笑い、怒り、喜びしながら、
ただただご機嫌に・・・


私は、ただ信じている。



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イエス様の「黙っているな」(コメント8)

聖書のヨハネ福音書の中に書かれているイエス様の
「黙っているな」の箇所は私の胸を切なく打つ。
そして、時にこの「黙っているな」は私を励まし、又、時に私を突き刺す。


ベトザタの池のほとりで、長く病を患い苦しんでいるにもかかわらず、誰も水が動く時に池に入れてくれる人がいませんと落胆する男性に対して、
「もう黙っていてはいけないよ(もう罪を犯してはいけない)」と・・・・
黙っていれば、もっと苦しくなるかも知れないから・・・と


又、
姦淫で捕らえ石打ちにされそうなり、イエス様に助けられた女性に対して、
「これからは黙っていないように(今後は罪を犯さないように)」と・・・
見下されたままの状態でいないように・・・と。



どちらのエピソードも、私の胸を詰まらせる。


ベトザタの病の男性にしても、
姦淫の女性にしても、

どれ程、今まで悲しかったであろうか・・・
どれ程、悔しかったであろうか・・・
どれ程の涙の末の諦めだったであろうか・・・


日常私達は、これ程ではなくても、
多かれ少なかれ、ベトザタの男性や姦淫の女性の様な、悲しみや悔しさや、やるせなさに出合い涙の末に理不尽さを胸に抱えたまま、諦めてしまいそうになる時がある。

そんな時、イエス様の、
「もう黙っていてはいけないよ(もう罪をおかさないように)」の言葉程、優しい励ましはない。
この力強い励ましは、私に勇気を与えてくれる。


しかし・・・

エス様は、「黙ったまま泣いている人」とも、これからは黙っておらず、共に働きなさいともおっしゃる。「一緒に黙らず義の国を求めなさい」
と、おっしゃる。

そうしたいと思う。
そうせずにいられない時もある。


けれど、それは時に、自分の命とひきかえになったりする場合もある。
自分だけではない。
自分の家族や・・・
そして、自分の子供の安全も保証出来なくなる場合もある。
そうした途端に、自分の家族や子供が、来月から飢えてしまう事などザラにある。


自分達が保身を決め込む事で・・・


今日も、ベトザタの男が泣いている。
今日も、姦淫の女が泣いている。


「あなたは、わたしを愛するか」


やはり、私の心を・・・

鋭く突き刺す。


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