卑屈と謙虚を履き違えるクリスチャン達(コメント5)
私は元来、基本的にあまり人を怖がらない。
何故か解らないが、昔からそうである。
そのせいか、クリスチャンと呼ばれる人達を見ていると、何故そんなに人を怖がるのだろうと思わされる事が多く不思議に感じる。
特に、牧師・長老・先生・先輩・社長・上司という立場の人達を怖がる。
その中でも、牧師・長老という立場の人を、極端に怖がるクリスチャンが、とても多いように感じる。
牧師や長老が、甚だ失礼な事を言ったり、理不尽な態度をとっても、「はい・はい」と俯いたりしている。
その姿は、あまりに卑屈で、見ていて哀しささえ感じてしまう。
相手が誰であれ・・・
失礼な事を言われた時は、マナーを持ってキッチリ抗議するか、ニッコリ笑ってサッと席を立ち2度と関わらない様にするか(他etr )・・・
が健全な対応だと私は思っている。
牧師や長老の「クリスチャンだから謙虚でいなさい」という言葉のもとに、相手から傲慢不遜で失礼な事をされても「ハイ。ハイ。」と神妙にしている。
その態度は、「謙虚」とは言わない。
その態度は、「卑屈」という。
イエス様は、卑しいとされる生まれでありながらも、一度たりと、「卑屈」な態度を取られた箇所など、聖書には見受けられない。
いつも、優しく、堂々とされている。
あなたが、現代の律法学者やファリサイ派などの指導者に毅然とした態度をとらない限り、み国など来ない。・・・と私は思う。
あなたが怖いと思っているものは、
あなたが自分の心の中で創った、亡霊のかげろうだ
かげろうなど何も怖くなどないではないか。
「卑屈」に高圧的に生きるより、
「謙虚」に堂々と生きていきたいと私は願う。
優しく・・・
堂々と。
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