憎しみという贈り物はあげない
「憎しみという贈り物はあげない」
パリの同時多発テロで妻を失ったジャーナリストの言葉である。
多くの人の共感を呼んだ言葉である。
この言葉を聞いた時、皆様はどう思われたであろうか?
私は深い共感と共に、「憎しみ」という感情に囚われて逃れられない自分を感じた。
と、同時にこの言葉から勇気も貰えた。
私は、動物が好きである。
猫さんも、犬さんも、兎さんも、鳥さんも・・・
とにかく動物が好きである。
何故好きかと言われても、好きなものは好きで理屈の他・・というところがある。
又、子供が好きである。
こちらも何故好きかと言われても、理屈の他で、好きである。
そして、何故かお年寄りも好きである。
だから、動物や子供や老人が虐待されているのを見ると、虐待する人に、強烈な「憎しみ」を感じてしまう。
しかし・・・
憎しみからは、憎しみしか生まれない。
復讐からは、血しか流れない。
復讐しようとは思わない。
しかし、復讐したいと思う事はある。
心が「憎しみ」でいっぱいになる時はある。
「憎しみという贈り物はあげない」
私にとって希望の言葉である。
憎しみを憎い相手に贈ったところで、動物や子供や老人に対する虐待は、更にエスカレートするだろう。更に巧妙な虐待にとってかわるであろう。
ならば、私の憎しみも、弱い者への虐待に荷担しているという事になる。
なのに私は・・・
私が好きなものを苛める者達が憎い。
弱い者を虐待する者達が憎い。
私がこの「憎しみ」から開放される時、私は弱い者いじめの荷担者の中から抜けられる。
「憎しみという贈り物はあげない」
「憎しみという贈り物はあげない」
何度も何度も・・・
この言葉を私は口づさむ。
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追伸:私のブログをお読み下さり、それについて応えて頂いていると私が感じる記事を更新して下さる牧師の先生及び、皆様。
本当に有難うございますm(._.)m
感謝しております。
しっかりと、そしてゆっくり読ませて頂いております。
自分自身を考えさせて頂ける機会を与えて頂けました。とても嬉しく思っております。
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