キリスト教批判について思うこと
キリスト教を、又は、クリスチャンを批判しているブログというものがある。
又、書物がある。
私は、よくそういうブログを訪問させて頂く。
書物も、読ませて頂く。
クリスチャンだったけれど今は辞められた方、
クリスチャンではあるけれど、教会を離れられた方
又、教会を変えられた方、
色々な方が、色々な角度から批判されている。
そして、キリスト教批判ブログや書物を読ませて頂いて私は3つの事を強く感じる。
♦品位を感じる
♦クオリティーの高さを感じる
♦賢さ(知識が有る無しとは関係ない)を感じる
私は、この3つを強く感じる。
激しく怒って書かれている方も、静かに怒って書かれている方も、理論面に書かれている方も、淡々と書かれている方も・・・・
表現のされ方は色々ではあるけれど、殆ど全てのキリスト教批判ブログや書物の文章に、品位とクオリティーの高さと賢さを、私は感じる。
そして、真面目さと真摯さとピュアさを感じる。
考えてみれば当たり前である。
真面目で真摯でなければ、真剣にキリスト教批判を書ける筈など無いのである。
おまけに、書かれている批判の内容は、「ごもっとも」なのである。
そして更に私は思う。
「畑が違う」とは、こういう事なのだな・・・と。
クリスチャン批判をされている方々は、ハッキリと「畑が違う」のである。
クリスチャン批判をされている方々の畑は、
品位があり、質が高く、賢く、真面目で、真摯で、ピュアな畑なのである。
そして、細やかな神経を持つ畑である。
そして、キリスト教批判やクリスチャン批判をされている方々が何に怒っているかというと・・・
そんな大切な自分の畑を、荒らされた事に対して怒っているのである。
品位がなく、質が悪く、おバカさんで、いい加減で、薄汚く、神経の荒い、クリスチャンと呼ばれる者達が無神経に人の大切な畑に踏み込んで、荒らして行ったことに対して怒っているのである。
普通、人はそういうことはしない。
人の畑にづかづかと入り込んで荒らすような事はしない。
そんな事をされたら誰だって怒る。
「畑が違う」のである。
クリスチャンと呼ばれる者達は、ちゃんと、自分の畑が、どんな畑であるかを知り、分をわきまえて、人の美しい畑に無神経に入らないようにした方がよいと思う。
入りたければ、自分を先ず、そのレベルまで高める事である。
自分の大切な畑を荒らされた人達は本当に迷惑をしている。
これが・・・・
クリスチャンやキリスト教批判をされている方々のブログや書物を読んで、私が思う事である。
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