metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

誰を疎んじて・・・

願わくば教えて下さい。

あなたは誰を疎んじて、
誰に心が向かわれますか?


願わくば教えて下さい。

あなたは、どうしてその人を疎んじて、
どうしてその人に心が向かわれたのですか?


願わくば教えて下さい。

あなたは何を疎んじて、
何に心が向かわれますか?


願わくば教えて下さい。

あなたは何故そのことを疎んじて、
何故、そのことに心が向かわれたのかを・・・


ここでは・・・そのことについて、
みんなみんなバラバラな事を言っています。
みんなみんな自分の言うことが正しいと言っています。


私も、自分の言うことが正しいと思っています。
と同時に、間違っているかも・・とも思っています



願わくば教えて下さい。

あなたは何を疎んじて・・・・
何に心が向かわれますか?

私は・・・
あなたの心が向かわれた方を見たいのです。

けれど・・・・

私がそこに向かって歩く勇気がなかった時、

私は、どうすれば良いのですか?

願わくば・・・

教えて下さい。


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エサウさんエサウさん、あなたにお尋ねしたい事があるんです

エサウさんエサウさん、
あなたにお尋ねしたい事があるんです。

あなたは弟のヤコブ君から、酷い事をされてご立腹されていましたよね(ーдー)
確かに、お腹がペコペコの時に、
「この目の前の食事をお与えする代わりに、長男の権利を譲ってくれますか❓」
なんて弟に言われれば・・・
譲っちゃいますよね。
なんたって、お腹ペコペコなんですもの・・・
空腹には勝てませんよね(ToT)
私もダイエットダイエット・・と、言いながら、やはり空腹には勝てません(-""-;)
弟の、人の生理的欲求を利用した卑怯~な手口に、ご立腹されるお気持ち・・お察しします。

けれど・・・
私、どうしても腑に落ちない事があるんです。

あなたの時代の長男の権利って、かなり・・・
「お得」だと伺っています。
親御さんが財産なんて持ってらしたりしたら、弟よりずっ~と沢山、頂けるのですよね❓

「長男」というだけで・・・・
沢山頂けるのですよね❓

何たが腑に落ちないなぁ、わたし。

他にも色々、権利がおありなのですよね❓
「長男」というだけで・・・
やっぱり腑に落ちないです、わたし。


それに、あなたは、パパにとても愛されてらしたと、お聞きしました。
弟のヤコブ君は、ママに愛されていたそうですが・・・

なんたって、あなたのパパは、神様のお墨付きでいらっしゃるし、あなたの時代、男親から愛されるのは、女親から愛されるのとはまた違った意味合いがあり・・・やっぱり「お得」なのですよね・・❓

そこでお尋ねしたいのです。

あなたは、「長男」というだけで色々お得な訳ですが、弟のヤコブ君に対して、
「悪いよなぁ・・・長男というだけで沢山の権利貰っちゃって俺・・・」とか、
「権利貰った後は、弟とその権利を半分こずつしよう」・・・とか、考えたりはなさいませんでしたか❓

えっ❓
「その時代の風習だし決まりだから当然じゃん」
・・・・

って思われたかどうか、聖書に書かれていないから、よくわからないんです・・・( ´-`)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

弟のヤコブさん・・・・・

あなたは、「長男だというだけで、いろんな権利貰って、そりゃ不公平だろ!ずっこい!」
とか、思われたりしましたか❓

あなたのなさったことは、卑怯~な手口かも知れませんが・・・

仕方なかった部分もあると、私は思うんです。

あなたの時代の風習に、あなたが、「変だ!おかしい!」と、正攻法で立ち向かわれても・・・・
誰も相手にしないどころか、酷いバッシングを受けますよね・・・。

おかしな風習が「正攻法」で通らないなら、あなたがなさった、卑怯と言われるやり方しか方法はなかったのかも知れないと思ったりしています。

ヤコブさん・・・・

あなたがこの世を去られて、長い長い年月が経ちました。
その期間に、弱い立場にある人達が、「正攻法」で戦い、多くの人達が血祭りにあげられました。

けれど・・・・
少しずつ少しずつですが、その方達の犠牲のもとに、弱い方達の立場が、改善されたりしています。

まだまだ、まだまだですが、少しずつ改善されていると私は感じています。

ヤコブさん、あなたのお気持ちの詳細がどうであったのか、詳しくは聖書に書かれていないので、私達は憶測するしかありません。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

最後に・・・・

エサウヤコブのパパさん。
あなたに、どうしてもお尋ねしたい事があるのです。


もし・・・・
もし、エサウ君が弟で、ヤコブ君がお兄様なら、


あなたは、どちらを愛されましたか?


♦♦♦長い文を最後迄お読み下さり、有難うございましたm(._.)mm(._.)m♦♦♦♦♦♦♦♦

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楽しい(コメント4)

洗いものが楽しい。

掃除が楽しい。

お洗濯が楽しい。

お料理が楽しい。

お買い物が楽しい。

食事が楽しい。

仕事が楽しい。

趣味が楽しい。


あなたと会話するのが楽しい。

あなたと一緒にいるだけで楽しい。



私が楽しみの中で幸せでいる時も・・・


私が、苦しみの中にいる人のことを
忘れませんように・・・・・

私の幸せが、誰かを傷付けませんように・・・



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しらふになるのが怖い人

カルト教会と呼ばれる教会の信者の方の中に、
親がアルコール中毒で恐かった・自分がアルコール中毒だったけれど救われた・・・
と、いうパターンの話をよく耳にします。

話を聞かせて頂いていると、本当に恐ろしい子供時代を過ごされていて、言葉に詰まります。

又、ご本人がアルコール中毒の場合、酔いから覚めた時の虚しさと淋しさは、耐え難いものである様です。

お酒の力を借りて現実を忘れていられる・・
その時だけが安らげる時間なのだろうと思います。



カルト教会も似たところがあると感じています。


教会の中、教会の仲間達と関わっている時だけが、虚しさと淋しさを感じずにすむ時間・・・

しかし・・・一人で、教会の外に出た時は、もう「戦いの時間」というというところが、とても良く似ている様に感じます。

ノンクリスチャンと、表面的には友好的なお付き合いをしても、心の奥底では戦いを挑まれている方が、とても多い様にも見受けられます。

カルト化したの教会の方と関わると、どこか挑戦的で攻撃的なものを感じるのはその為なのかも知れません

カルト化した教会にいらっしゃる方にとって、
ノンクリスチャンは、神様の敵側にいる人間なのですから、挑戦的で攻撃的になられるのも無理はありません、


どんなに「愛をもって神様を信じて頂く様に・・」と言ったところで、敵側は敵なのです。
そんな、おためごかしは通用しません。
ちゃんと、ノンクリスチャンは、その敵意を見抜いています。


ん・・・・
話を本題に戻します。



アルコール中毒の方が、しらふに戻って現実の世界を見ることが耐えられ無い様に・・・
カルト教会の信者の方も、俗に言う世の人や、この世と、しらふで関わる事に耐え難さを抱えていらっしゃる様に感じています。

それゆえに、アルコール中毒だった方が、カルト教会の信者になる事で、アルコールを絶つことが出来たというのは、私はとても納得が出来ます。

アルコールでしか忘れる事が出来なかった現実を、今度はカルトの教えで、忘れる事が出来たのですから、お酒も当然絶てるでしょう。

おまけに・・・
アルコール中毒である自分には自己嫌悪を感じても、「キリスト教の教え」という大義名分がありますから、ずっとこちらの方が魅力的に感じられるであろう思います。


しかし・・・・


同じ現実から目を背けるという共通点はあっても、
ひとつだけ、アルコールとカルト教会の教えとは違う部分があると感じています。

それは、
アルコールは、完全に現実を見ない様に自分を仕向けますが・・・
カルト教会は、99%現実から目を背けさせても、1%だけ事実を見せる・・というところです。

それは、
「世の人は、あなたの敵」・・という、その人にとっての事実です。


これは、ある人達にとって紛れもない現実であったりします。


いわれもない偏見、差別に苦しまれている人、又、苦しまれてきた人にとって、これは紛れもない現実です。
アルコール中毒の親のもとで育った故、人と上手くコミュニケーションがとれずに、いじめや差別に苦しむ人も・・・


こういう苦しい中にいる方にとって、
「世の人は敵」は、事実であり辛い現実です。

カルト化した教会は、実にここの所を上手く利用します。


しかし、もし差別やいじめに苦しむ人が、
「クリスチャンは神様に祝福されていてノンクリスチャンはされていない」・・・と、ノンクリスチャンを「差別」するならば・・・

それは、自分がされて一番辛かった事を、今度はノンクリスチャンにしている事と変わり無いのだと私は思います。

見下す事で仕返しをしているのと変わり無いのだと思います。


私は、イエス様はクリスチャンもノンクリスチャンも関係無いのだと思っています。
生まれも育ちも関係無いのと同じように・・・。


残念ですが、そんな辛い差別に合っているカルト教会の方が、その教会の外に出た時・・・
理不尽な差別をする世の人は、まだまだ沢山いると思います。


またか、またか・・・と、いうほどに・・・。


その度、カルト教会での教えは真実だと思うかも知れません。


けれど・・・・
負けないで欲しいと私は願います。


自分も同じように、「クリスチャンは、ノンクリスチャンは」という差別をして、生まれや育ちで差別をする人達と同じにならないで欲しいと願います。

差別を「聖化」とするまやかしにも乗らないで欲しいと願います。



世の中には理不尽な差別をしない人も沢山います。
そして、カルト化していない教会にも、差別を嫌う人は沢山います。
そこには、復讐心を充たす教えはありませんが、芯から強くなれる種はあるかも知れません。
もし、カルト化した教会でなくても、差別をする人が多い教会なら、どんどん違う教会に足を運んで下さい。


私は・・・
辛い現実に立ち向かい、「優越感」という名のアルコールを絶ち、強く優しくなられたあなたにお逢いして、色々教えて頂き、学ばさせて頂きたいです。



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信仰という名の虐待(コメント2)

「信仰という名の虐待」という本が出て、もう20年以上の月日が経ちました。

多くのクリスチャンの方々も良くご存知の本です。

カルト化していく教会に危惧を感じ、一人の海外の牧師様が書き下ろされたこの本・・・

この前後くらいから、現代の教会のカルト化を危惧する牧師様、神父様、宗教家、信者達が少しづつ声をあげられていきました。


警告を鳴らす一人一人の小さな声の音も・・・
月日を重ねるごとに、カルト化した教会に苦しむ人や、その家族、関わる周り人達に少しづつ浸透していったのだと思います。
そして、それによって救われた人も多いのだろうと感じています。


やはり、小さな小さな声であっても、発していくことは大切なのだなと感じます。
又、苦しみの中にいる人達と手を繋いだ底辺からの声には力があるのだなとも感じています。



しかし・・・

まだ厳然と、このカルト化が進む教会は存在し、又、その中で泣く人は多くいらっしゃるのだと感じています。

「正統派・◯◯とは一切関係ありません・カルト教会で悩んでらっしゃる方のカウンセリングをします」等々を謳う教会の中に、かなりの数のカルト教会が存在するのも事実かと思われます。


そして・・・・

このカルト化している教会は、まだまだ無くならないのだろうと感じています。


なぜなら・・・

「カルト化した教会を必要とする人々」が多くいらっしゃると思うからです(二世さんは除きます)

カルト化した教会を必要とされる方々は、カルト化していない教会では満足出来ません。
いずれ、カルト化した教会に移籍されるのだと思います。


どうしても満たされない承認欲求・世の中に対する強烈な敵意とコンプレックス・恐怖から来る支配欲
・病んだ心を埋める為に使う使命感・・・など、

そういう自分の心の闇を、直視する事が出来ない程
に傷付いた人にとって、カルト化した教会は、本当に救いの場であるのだろうと感じます。

自分の傷の根本治療が出来ない程痛んでいる人にとっては、一本のモルヒネ注射の方が救いになるのかも知れません。

その時は痛みが和らぎ嘘の世界で夢心地になれるものの・・

やがては、一本のモルヒネ注射では痛みが治まらなくなり、もっとキツい注射を打ち続け、最初の傷は悪化し、新たにもっと深い傷を負ってしまう・・・


傷の深さは相当なものなのだろうと思います。


誰も・・・
好きで満たされない承認欲求を抱えたいわけがありません。

誰も・・・
好きで、世の中に対して強烈な敵意とコンプレックスを持ちたいわけではありません・:・

誰も・・・誰も・・・


カルト化した教会を必要としない私や色んな方々は、たまたまその環境だっただけなのだと思っていす。


こうしてブログを書いていると・・・
カルト化した教会を必要とする人々と、日常生活の中でなるべく関わりを持つことを上手く避け、敵意・支配欲・承認欲求、そして嘘の世界で陶酔しなければ生きれない方々から目を背け逃げる自分を突きつけられます。



全ての人の傷が早く癒えますように・・・

特に、深い傷を負った人の心が癒されますように・・




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「試練だと思いなさい」と言う他人事(コメント2)

「試練だと思いなさい」

この言葉を教会内で言われた方は、少なく無いのではないかと思います。

生きていると色々な事があります。
どんな方も、大きな壁を前にして、立ちすくんでしまう経験を何度もされている事と思います。

そんな時、自分自身で「神様から与えられた試練だと思って乗り越えよう」と思い、前向きになる事自体は問題無いと思っています。


しかし・・・・


人には、自分ではどうしようも無い出来事を前にして、茫然とするしかない時があります。
又、何の手立ても無い程に深刻な事態に直面する事もあります。


それは、社会的システムから来るものであったり、
予期せぬ災難に遭遇してしまったりと、個人個人色々です。
はたから見て、何でも無い事に見えても、本人は自分ではどうしようも無い事もあったりします。



そんな時に・・・

「試練だと思いなさい」程、他人事の言葉は無いと感じています。


どうしようもない時にヘルプを求めて・・
その答えが、
「試練だと思いなさい」だけだとしたら・・・

これは見捨てたと同じだと思っています。


勿論、困っている人と共に歩き「試練だと思いましょう」「試練だと思って・・・」と励ましあい、乗り越えていくのなら話は別です。


しかし・::
「試練だと思いなさい」の言葉だけで、
困っている人を目の前にして自分は安全な立ち位置にいるのなら、それはただの高見の見物です。

困っている人の立ち位置に来ずに、この、
「試練だと思いなさい」の言葉を相手送るのは、タブーだと思っています。


自分は腰を上げず、指一本動かそうとせずに、この言葉が言えるのは、共感能力が酷く欠如している様に感じています。


困っている人と、同じ立ち位置に立つならば、
自分に出来る事が見えてくるパターンも多かったりします。

出来る事が無く、無力感を感じたとしても、誰に知られる事もなく、静かに祈る事くらいは出来ます。


その時には、
「試練だと思いなさい」という言葉など、心に現れません。
現れないのですから当然、困っている人を前に、この言葉を投げる事もありません。


エス様が、困っている人、悲しみに打ちひしがれている人を前に「試練だと思いなさい」などと言われている場面など私は知りません。

ただ一緒に、深く痛まれているだけです。
そして、その時に何かがおこっています。



「試練だと思いなさい」

この言葉は、時に、社会的弱者を切り捨てる事に繋がったりすると感じています。


私は・・・
弱い者から切り捨てられる世の中であって欲しく無いと、心から願っています。



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受け取るばかりだと嘆くあなた(コメント2)

受け取るばかりだと、嘆くあなた。

受け取るばかりで
何もしてやれないと俯くあなた。

動かない身体と、動かない頭を抱え・・・

受け取るばかりだと、嘆くあなた。



泣かないで。
泣かないで。



私はあなたから、沢山たくさん貰っている。

あなたが、そこに居るだけで、
私はあなたから、沢山たくさん幸せを貰っている。



どんな人も・・・・

受け取るだけの人など、この世にいない。



気がついて。
気がついて。




もしあなたが・・・

受け取るだけで、何も出来ない、何も与えれないと思っていても・・・

あなたは、そこにいるだけで幸せを与えている。


あなたがあなたでいるだけで、私は与えられている。



どんな人も与えている。


受け取るばかりの人などこの世にいない。


だから・・・


泣かないで。
泣かないで。


明日は一緒に笑いましょう。




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