metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

どんなに貴方が暗くても・・・イエス様には朗らかな人と同じ。 コメント4

どんなに貴方が自分を責めても、
エス様は貴方をお責めになられない。


どんなに貴方が自分の事が嫌いでも、
エス様は貴方のことを、お嫌いにならない。


どんなに貴方が自分を許せなくても、
エス様は貴方を赦される。


どんなにに貴方が泣いていて、喜べずにいても、
エス様は貴方を見捨てない。


どんなに貴方が暗くても、
エス様には朗らかなあの人も暗い貴方も同じ愛しい人。



自分を責めて、自分が嫌いで、自分を許せなくて、いつも泣いている、暗い貴方のことも、

いつも喜こんでいて、自分が好きで、いつも朗らかな、明るい貴方ののことも、


エス様には、同じ愛しい人。
暗い貴方も明るい貴方も、イエス様の前には同じ。
何もかわらない。

・・・・・・・・、


人間らしく泣け。
人間らしく笑え。
人間らしく悲しめ。
人間らしく喜べ。

人間らしく、人間らしく・・・。


神になるな。
それ以上神に近づくな。

人間を愛した神に応え、
人間らしく生きろ。
神になろうなどとするな。


泣いて、笑って、悲しんで、喜んで、
精一杯、人間らしく生きろ。


人間である自分を捨てるな。


私は・・・・
どこまでも、どこまでも
人間でありたい。

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私は、人間が神のようになろうとした時、心が壊れてしまうのではないかと思っています。
真面目なクリスチャンの方が時に心を病んでしまうのも、誠実な意味で神になろうとして神になれない自分を追い立ててしまうからかも知れないと感じています。
完璧ではない人間が、完璧でなければならないと自分に課したとき、心は壊れてしまう様に感じます。

朗らかで明るく、いつも喜んで全てに感謝している人も素敵ですが、暗くて泣いていて、喜びたくても喜べ無い、感謝したくても感謝出来ない方も、人間らしく、そういう方の姿は私には醜い姿として映りません。

そして、神様は、そういう方と一緒に働かれていらっしゃる様に感じています。

悲しんでいる自分、泣いている自分、喜べない自分、暗い自分を、そのまま神様の前にさらけ出し、神様の前に甘えるしか出来ない私ですが、もう・・仕方ない(-""-;)・・・と思っています。


この散文は、人間として、神様に問いかけながら、生きていきたいという思いから書かせて頂きました。
・・・・・・以下の文は自分への励ましの意味での命令形です。読んで頂いている方への命令形文では無いことを付け加えさせて頂きます。

長い文を最後までお読み下さり、有難うごさいましたm(._.)m

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