metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

あなたの父と、あなたの母をカベード(重くせよ)

十戒の「あなたの父母を敬え」というのは、子供は親を敬いなさい・・という、それだけの意味だと、私はずっと思っていた。 

この掟が、扶養されている子供に対してではなく、成人した子供達に与えられたものだという事を知ったのは、洗礼後、随分たってからだった。

知った時は、新鮮な驚きと同時に、物凄く共感し、嬉しかった記憶がある。


「敬う」は原文で「カベード」。
「カベード」は「重くせよ」という意味。
目方を重くする・・しっかり食べさせよ。というのが、この言葉の原意。
要するに、年老いた父母の面倒をみよ。という意味


・・・物凄く新鮮で、納得が出来、共感出来た。


あぁ、だから、マルコの7章でイエス様が、モーセの「父母を敬え」を例に出し、「父母を養わないで、私達は父母を扶養すべき分を、全部コルバン(神への供え物)しているから自分の父母を養わなくてもいい」という人達を戒めたんだぁ・・・と、私の中で無理なく繋がった。
皆様は、良く御存知だったと思うが、私は本当に、こんな事も知らなかった(-""-;)



私はポォ~っとしているところがあり、いまいち良く解らず聖書を読んでいたりする。
?・?・ハテナ・(?_?)・・・と思いながら読み進んでいくのだか、引っ掛かる箇所は、ずっと引っ掛かかり、消化出来ずに、気持ち悪さを引き摺っままでいたりもする。


なので、こういった丁寧な解説に出会える事は、私にとって、とても嬉しく有難い事なのである。



それはさておき・・・・

この、「私は、コルバンしているから父母の面倒はみなくても大丈夫」・・・と、いう人達が今の時代でも結構な数いる。
私は、このことに、ずっと違和感を感じていた。


扶養したくても・・・面倒をみたくても、事情があって出来ない・・と、いうのではなく、充分出来るのにしないで、教会活動を熱心にして、自分の父母が、そして兄弟姉妹がクリスチャンにならないと嘆いている人達が結構いたりする。

あなたが嘆いている間に、あなたの兄弟姉妹は、あなたの父母を「カベード」しているのである。

・・・・・・・・。


昔もそうであろうが、今の時代も、多くの人達が、生きていくのに必死である。
父母を扶養したくても、出来ずに、痛む心を抱えながら日々必死で生きている人達も多いのである。
又、必死で扶養するあまり、共倒れになりかけて泣いている人達も多いのである。


老いた父母達は、それが分かるから、何とか子供の世話になりたくないと思うのである。
しかし、世話にならずには生きていけない自分を申し訳なく思い、老いた心を痛めておられたりするのである。


子供は年老いた親を思い、年老いた親も又、子供の事を思い・・・
それでも、どうしようもない現実にお互い心を痛め、その中で何とか幸せに生きていこうと、倒れ込みそうな心と身体を抱え生きている人達が沢山いるのである。


エス様が、「コルバンしているから父母の面倒をみなくてよい」と平然としている人達を戒められたエピソードは、本当に納得であるし、私は心から共感出来る。まさしくアーメンである。



エス様は、今の時代の「コルバンしているから大丈夫」・・と、いう人達をどう思われていらっしゃるのだろうか・・。




そして・・・
「カベード」をするあまり、自分が潰れそうな貴方へ私は言いたい。
先ずあなたがあなたを助けてあげる方法を考えてあげて下さい。
優しすぎるあなただから・・・
自分を追い詰めないであげて下さい。
助けを求めて下さい。
助けてくれと声をあげて下さい。
諦めず助けを求めて下さい。


「カベード」されて、心を痛めておられる年老いたお父様、お母さまへ・・・
お父様お母様は、決して厄介者などではありません
これから私達は、しんどい時はしんどい。辛い時は辛いと言います。
そして、自分を大切にして楽しく生きます。
だから、自分達のせいで、この子に負担をかけているなんて思われないで下さい。
時には、あなたに寂しい想いをさせてしまっても、自分の時間を大切にして楽しく生きていきます。
だから、本当に心配しないで下さい。
私達が、あなたを「カベード」するのは、ただあなたと一緒にいたいからです。一緒に時を過ごしたいからです。あなたの事が大好きだからです。
だから、だからどうぞ、この私達の気持ちだけは受け取ってやって下さい。



それが、私達の幸せです。




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