metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

「知っている」という事の、はしたなさ

人によって価値観は色々である。

生まれも育ちも違うのだから当たり前である。



「知っている」という事について言えば・・・


ある人にとっては、「知っている」という事は、素晴らしい事で、何でも「知っている」方が価値があり、立派な事であるとしている。


しかし・・・
ある地方では、「何でも知っている、何でも出来る」事を「はしたなかと(はしたない)」と言い、たしなみの無い見苦しい事としている。


カルト化した教会では、「何でも知っている」事に価値を置く方々や子供達が、多い様に私は感じる。


まるで「知らない事」は恥ずかしい事と感じている方が多い様に感じる。
そして、何でも「知っていなければいけない」と思っていらっしゃる方が多い様に感じる。

特にノンクリスチャンより絶対に真理を知っていなければいけないと感じていらっしゃる方がとても多いと感じる。


お話させて頂いていると、一生懸命「知っている」という事をアピールし、「知らない事」も知っているという事にしなければ恥ずかしいという感じが、ひしひしと伝わる。
必死で肩肘を張っていらっしゃる様子が伝わる。



私は、「知らない事」は、ちっとも恥ずかしい事ではないと思っている。


そして人は、本当は殆ど「何も知らない」と思っている。


「神様ごと」について言えば、本当のところ、人は誰も、とことん「何も知らない」と思っている。





「知りたいと思う事」は、とても素敵な事だと思う。
「知らない」の前提があるから、人は知ることが楽
しい。


何でも知っている人などいるはずもない。
又、人は全てを知ることなど出来無い。

そして「知っている」と思っている事も、実はハズレかも知れない。

だから面白いし楽しい。




私は・・・
いつまでも「知りたい」と思う、何も知らない人でいたいと思う。


目をキラキラさせて、そして時には泣きながら、「どうして? 何で?」と聞いてくる子供の様に、
終わりの日まで「知らない」人・・でありたいと思う。




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憎しみという贈り物はあげない

「憎しみという贈り物はあげない」

パリの同時多発テロで妻を失ったジャーナリストの言葉である。
多くの人の共感を呼んだ言葉である。


この言葉を聞いた時、皆様はどう思われたであろうか?

私は深い共感と共に、「憎しみ」という感情に囚われて逃れられない自分を感じた。
と、同時にこの言葉から勇気も貰えた。



私は、動物が好きである。
猫さんも、犬さんも、兎さんも、鳥さんも・・・
とにかく動物が好きである。
何故好きかと言われても、好きなものは好きで理屈の他・・というところがある。


又、子供が好きである。
こちらも何故好きかと言われても、理屈の他で、好きである。


そして、何故かお年寄りも好きである。




だから、動物や子供や老人が虐待されているのを見ると、虐待する人に、強烈な「憎しみ」を感じてしまう。


しかし・・・
憎しみからは、憎しみしか生まれない。
復讐からは、血しか流れない。


復讐しようとは思わない。
しかし、復讐したいと思う事はある。


心が「憎しみ」でいっぱいになる時はある。




「憎しみという贈り物はあげない」




私にとって希望の言葉である。




憎しみを憎い相手に贈ったところで、動物や子供や老人に対する虐待は、更にエスカレートするだろう。更に巧妙な虐待にとってかわるであろう。


ならば、私の憎しみも、弱い者への虐待に荷担しているという事になる。



なのに私は・・・
私が好きなものを苛める者達が憎い。
弱い者を虐待する者達が憎い。


私がこの「憎しみ」から開放される時、私は弱い者いじめの荷担者の中から抜けられる。



「憎しみという贈り物はあげない」
「憎しみという贈り物はあげない」



何度も何度も・・・
この言葉を私は口づさむ。


♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

追伸:私のブログをお読み下さり、それについて応えて頂いていると私が感じる記事を更新して下さる牧師の先生及び、皆様。
本当に有難うございますm(._.)m
感謝しております。
しっかりと、そしてゆっくり読ませて頂いております。
自分自身を考えさせて頂ける機会を与えて頂けました。とても嬉しく思っております。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

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悪口満載のお説教をする牧師達 コメント2

悪口満載のお説教をなさる貴方。


はい。貴方の事でございます。



違う教派の悪口を言い、
カトリックの悪口を言い、
ノンクリスチャンの悪口を言う、あ・な・た。



えっ?悪口じゃない?
真理を語っている?
健全な批判?

いえいえ。
悪口です。

貴方がおっしゃっている事は、全て嘘ですもの。





違う教派の教えはこうだ、間違ってる!

嘘ばっかり・・・
他の教派の牧師の方は、貴方の知らない事、沢山勉強していらっしゃいますよ。
視野を広く勉強して判断なさってますよ。




カトリック信者はこんな事信じてるから間違ってる!聖書的ではない!

何言ってるんですか・・・
神父様は実に貴方の知らない聖書の事、その時代の伝承を良くご存知ですよ。
神父様と同じくらいしっかり勉強と訓練をしてから、そういう事は言いましょうね。



ノンクリスチャンは、こうだ!
だから間違ってる!

何言ってるんですか・・・。
ノンクリスチャンの人達は、貴方が言うような事、思っていませんよ。
全くズレてます。
それとも、貴方の周りのノンクリスチャンの方は、皆そうなのですか?
だとしたら偏った世界で生きていらっしゃるのですね。貴方の知っている世界が全てではありませんよ


どちらにしても・・・

そんな貴方の説教を、親に連れられ毎週日曜日に聞かされている青少年は・・・
貴方のご計画通り、世の中に「敵意満々」の人格を身に付けました。


違う教派の人達に敵意満々❗
カトリックに敵意満々❗
ノンクリスチャンに敵意満々❗


はい。つまり、世の中に敵意満々の青少年に育ちました。

貴方と、そっくりの青少年に育ちました。



お陰様で、目付きも貴方達と、そっくりの、敵意に満ちた、時には人を侮る目付きをする青少年に育ちました。

学校では、凄い目付きで私を見たとクラスメートが泣きながら先生に相談する程の・・・
道を歩けば、「なんなんだ❗その目は❗何か文句あるのか❗」と知らないおじさんから怒られる程の・・・凄い目付きする青少年に育ちました。


貴方そっくりの目付きです。


おまけに青少年達は、無意識にその目付きをしているので、すっかり「敵意」が身に付いてしまったのですね。


貴方がそうして、自分の中の敵意と同調してくれる子供達を育てても・・・

子供達は、青少年になります。
青少年は大人になります。

貴方がいくら世の中の悪口を言っても、青少年達は世の中に出て行きます。

大抵の青少年は運が良くて、世の中に出て暫くすると、貴方の脅しが、ただの脅しだと知ることになります。


そして、少しづつ少しづつ、「敵意」から開放されていきます。


しかし、傷付いた心と、人とのコミュニケーションの困難さ、それもカルト化した教会に居たが故の困難さに随分苦しめられます。


大人になった青少年達は、2度と貴方のもとには戻りません。
貴方達のもとには戻りません。


どうぞ、離れて言った青少年達が「悔い改めて神様のもとに戻る様に」と、貴方達の仲間と祈って下さい。




青少年達は、2度と戻りません。


悪口満載、敵意満々の貴方のもとには戻りません。


貴方達と違う世界で、後遺症に苦しみながらも、そして少しづつ後遺症から開放されながら、
幸せに、元気に生きていきます。



こちらからは2度と貴方達に関わりません。


ですから・・

こちらにも、一切、関わらないで下さい。





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カルト化した教会の子供達

カルト化した教会にいた子供の心の傷は、想像以上に深い。

カルト化した教会の子供達は、当然、親に連れられて、その教会と縁を持つ。

ある程度、大人になってカルト化した教会に自分から縁を持ったのであれば、それはその人の意志であり、その人の責任でもある。

しかし、子供は違う。

半ば強引に、自分の意志とは関係なしに連れて行かれるのである。

カルト化した教会であるから、当然、「その教会に行きたくない」という子供の意志は無視される。

と、いうより、「行きたくない」と思う事自体が、罪であり、地獄行きだと脅されている為、子供達は、自分の正直な思いさえ自分で見る事が出来ない。




カルト化した教会の子供達は、不思議と同じ事を言う。


私が、「お母さん(お父さん)に相談してみたらどうかしら?」と言うと、皆、同じセリフが返ってくる。


「・・・言っても無駄・・・」



そう言ってうつむく。
見ていて、とても深い諦めを感じる。

カルト化した教会の子供達は、
「親とは、ちゃんとした話しは出来ない」という。



そして・・・実は二重生活を送っている。


所謂、親の知らない子供の顔なのであるが、これが親に見せる姿とは正反対だったりする。

この顔を知っているのは、親の知らない親しい友達
であったり、滅多にないパターンではあるが、心を許した大人だったりする。


カルト化した教会では「反抗期の子供の反抗は駄目」・・と教えるので、子供達は「はい。はい。」
しか言わない。
もしくは、少しでも反抗しようものなら「はい」と
言うまで、しつこい親の説教や、無視が待っている為、取り合えず「はい」と、子供達は言っておく。


しかし、親しい友達や心を許した大人の前では、親への不満と親への憎しみを、延々と喋る。


このパターンは、まだ外にエネルギーが向いている分救われるが、これが内に向き出すと、親を悪く思う自分を攻め出す。又、親に反抗した自分を攻め出す。
そして、鬱になったりする。


大人しい子供なら自分を攻め、少しやんちゃな子供なら、親しい人の前で親を攻める。


どちらにしても、心の奥底にあるのは、強烈な
「怒り」である。


子供達は「強烈な怒り」を抱えながら、泣いている。泣き叫んでいる。




私が、このブログを始めた動機は、クリスチャンホームの子供達の抱える問題を、少しでも多くの人に知って頂きたかったからである。


この問題は、とても伝える事が難しい。


当事者や、カルト化した教会で傷付いた子供達と寝食を共にした人には、通じやすいが、まともに生活をしている方達には、私の伝え方が下手な事もあり、私の力量ではなかなか上手く伝える事が出来ない。


とにかく、ちゃんと生活をしている方々には、「そんな事って本当にあるの?」というくらい、想定外な事が多いのである。


毎回ではないけれど、少しづつ、この問題について書かせて頂きたいと思っています。


もし・・・もし、この問題について一緒に考えて頂ける方がいらしたら嬉しく思いますm(._.)m

是非、カルト化した教会の「子供達」に目を向けて頂ければ有り難いです。


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憐れまないように・・・

人が人を、憐れまないように・・・・

憐れまないように・・・

憐れまないように・・



憐れみは、神様が下さる。

貴方にも、私にも。





人が人を憐れまないように・・・・

憐れまないように・・・

憐れまないように・・


ただ、共に泣き共に笑うだけでいれますように・・





憐れまないように・・・・

憐れまないように・・・



貴方の尊厳を、
どこまでも大切に出来ますように・・・。



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「同情」という気の引き方をするクリスチャン

「常に人の気を引いていないと落ち着かない」という人がいる。
そういう人は、常に、相手をコントロールしていた
い人でもある。


そういう人達は、実に色々な気の引き方を知っている。



小さな子供ならば「泣いて」相手の気を引こうとする。
「泣く」事で、相手をコントロールしようとする。

知恵が少しつきだすと「拗ねて」気を引いたりする。



そして・・・
大人になると、実に様々な気の引き方を行いだす。


不機嫌さをアピールする。
怖そうな自分をアピールする。
何か悩み事があるのかな?をアピールする。
どこか具合が悪いのかな?をアピールする。

・・などなど、様々な「かまってかまって」の、アピール攻撃で気を引こうとする。


仕掛ける相手は、自分がコントロールしたい相手、もしくは自分がコントロール出来そうな相手で、人の良さそうな人を選んで「かまってかまって」のアピールをして気を引こうとする。


アピールであるから、本気で不機嫌なわけでも、怖いわけでも、たいした悩みがあるわけでも、どこか具合が酷く悪いわけでもない。

ただ、かまって貰いたいだけであったり、機嫌を取って欲しいだけであったり、自分の我が儘を通したいだけであったり・・・要するに相手を自分の思い通りにコントロールしたいだけである。


証拠に、甘くない相手には、機嫌良さそうに、優しそうに、元気にそうにするのである。
又、人の気を引いて相手をコントロールしようとする人は、甘くない相手には、最初から近づいていかなかったりする。


不機嫌さのアピールも、怖そうなアピールも、具合が悪いのかな?のアピールも、相手の気を引いてコントロールしたいがための、「手段」以外の何物でもない。



さて・・・。
色々な気の引き方の中で、1番私が性質が悪いな・・・と、思うのが、
「同情」をかう事で相手の気を引き、コントロールしようとする事である。


何故、1番性質が悪いと感じるかというと・・・
「同情をする人」というのは、とても優しく、親切で、善良な人であるからである。

優しく、親切で、善良な人達を相手に、「同情」という手段をもってコントロールしようとするのである。

性質が悪過ぎる・・・と、私は思う(-""-;)


「同情」で気を引いて、相手をコントロールしようとする人は、相手の事など、爪の先ほども大切に思ってなどいない。


そういう人とは、本当の意味で心を通い合わす事など出来ない。

そういう人にとって、自分以外の他者は、自分の欲求を満たす為の道具でしかない。


又、そういう人の言葉は「綺麗事」が多かったりする。



相手がクリスチャンであろうと無かろうと、
牧師であろうと無かろうと、
聖職者であろうと無かろうと、
こういう人には要注意である。


こういう人は、人のエネルギーを奪って生きる人である。

いわゆる、「エネルギーヴァンパイアー」と、言われる人達である。


「私って可哀想でしょ・・・」
「僕って可哀想でしょ・・・」

こういう人にあったら、一目散に逃げよう‼
と私は改たに思う。


本当に「気の毒」な人達は、アピールなどしない。
本当に「深刻」である。



お腹の中からつきあげてくる傷みの共感は、
「同情」を売り物にする人達の心とは、正反対の位置に座する。



「もの乞い」の心は、決して卑しくない。


しかし・・
「同情」を売り物にする者の心は、卑しい。


心と魂だけは、
卑しくはなりたくない・・と。

切に私は思う。




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あとだしジャンケンブログ

あとだしジャンケン、ジャンケンポン!
勝った~(^.^)


あとだしジャンケン、ジャンケンポン!
又、勝った~(^.^)


もひとつ、あとだしジャンケン、ジャンケンポン!
又々、勝った~(^.^)



真っ直ぐ向かい合った反論もなく、

真っ直ぐ向かい合った抗議もなく、

真っ直ぐ向かい合った批判もなく、

真っ直ぐ向かい合った関係性など持つ気もなく、


楽しい楽しい
あとだしジャンケン、ジャンケンポン!




心の奥底の悪意を見破られない様に、

心の奥底の敵意を見破られない様に、

愛と平和の「言葉」を鎧につけて、


あとだしジャンケン、ジャンケンポン!

勝った~(^.^)





さあ!今日も元気に
あとだしジャンケン、ジャンケンポン!(^.^)



♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

私は、個人的に正々堂々としたものが好きです。
言葉は悪いのですが、セコイものは好きではありません。
反論は堂々と、抗議は堂々と、批判も堂々と、でありたいと思っています。
それは、言葉を変えれば、しっかりと相手と向き合いたいという気持ちからくるのかも知れません。
堂々と相手と向き合う時の反論、抗議、批判は、必ず具体性を伴います。
具体性の無いものは、反論でもなく、抗議でもなく、批判でもなく、疑問ですらありません。

具体性の無いものは、ただの「言いがかり」でしかありません。

愛と平和の「言葉」で、自分の言いがかりを正当化するような卑怯な人間にだけはなりたくないと、私の最後のプライドが叫びます。

そこに落ちてはいけないと・・・・。


醜い姿であったとしても・・・
正々堂々と、ちゃんとこの醜い顔を上げて話を出来る人間でいれる様にと・・・
祈る日々です(^.^)

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

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