metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

みんなも偉い! コメント5

迷ったのですが・・・

暫く、ブログをお休みしたいと思います(^.^)

自分の身体の治療を先延ばしせず、少しでも早く治療したいと思います。

ブログは書きたいのですが、仕事と治療で、書く余裕がなくなりそうです(ToT)


落ち着いたら再開したいと思います(*^^*)




今日は、危機を乗り越えました\(^-^)/

ワイン偉い❗❗💪


みんなも偉い❗❗💕


皆様が幸せでありますように(^.^)

皆が幸せなのが1番いい。

又、皆様とコミュニケーションをとらさせて頂ける日を楽しにしております(*^^*)



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私は負けない。コメント2

私は負けない。

たとえ今が、どんなに苦しくても。



介護を必要とする、目の前の私の最愛の隣人。
介護をしながらの仕事。
大黒柱なので私が崩れると家族が路頭に迷う。
私は経営者でもある。経営は良い時も悪い時もある。当たり前だ。負けるものか。
おまけに、私は手術を必要とする身体であるけれど、先送りにしている。
今いま、手術出来る現状ではない。
まだ・・まだもう少し大丈夫。
そして日常の家事と雑用。


文字にすると、たいした事ないではないかと、どこかホッとした気持ちになる。
しかし、本音を言えば、ポケっとした性格の私には、かなりキツい日常である。


それでも・・・・・
私は負けない。


大変な状況にある人など、ごまんといる。



仕事を一生懸命する。
稼ぐ事を第一に考えて、しっかり仕事をする。
無我夢中の日常だけれど、一生懸命生きる。




神様が、どうしなさいと、おっしゃっているか、私には分からない。
人間である私には分からない。


分からないから、どんなに苦しくても一生懸命、日常を生きる。
一生懸命仕事をして稼ぐ。
少しでも目の前の隣人が笑顔になる様に一生懸命仕事をして稼ぐ。


それが私の神様への応答。


神様が何をおっしゃっているか分からない、私の
神様への応答。



幸い、家事も仕事も目の前の介護を必要をする隣人の事も大好きなのが有難い。


神経と身体は苦しくても、家事も仕事も介護も楽しいのが有難い。


泣く日もあり、不安で押しつぶれされそうな日もあり・・・


けれど、私は負けない。




弱い者いじめをしないように。
弱い時の私を、誰にもいじめさせないように・・

どんなに苦しくても、それだけはしないようにと・・・。



そして、出来るだけ、声に張りを持たせて、明るい表情でいたい。





私は負けない。

私は負けない。



私へのエール。


貴方へのエール。



私は負けない。



必ず、今より良くなる。

この苦しみが嘘のように思える日が、
必ず来る。


私は、負けない。



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私は貴方の言うことは聞きません コメント2

私は貴方の言うことは聞きません。

私は、貴方の言うことに何の真実味も感じません。

貴方の言葉は自己讚美ばかりです。

神を讚美する言葉を並べ立て、

自己讚美する貴方の言うことは聞きません。




貴方は、誰に向かって命令しているのですか?


貴方は何様ですか?


私は、貴方のようになりたくありません。


ですから・・・


私は、貴方の言うことは聞きません。



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赦されるよりも・・・私にとって、ずっと気になる事、大切な事。コメント4

大切に思っている人を傷付けてしまった時、人は、とても落ち込みます。

意図せずに傷付けてしまった場合も、
意図的に傷付けてしまった場合も、
自分の未熟さから傷付けてしまった場合も・・・

人は、大切に思っている人を傷付けた時、かなりに、へこみます。

そんな時、人は自己嫌悪と同時に、傷付けてしまった相手の傷が癒えて欲しいと・・・
それを無意識に強く望みます。

自分が傷付けてしまったにもかかわらず、相手の傷の痛みに、自分も酷く痛みます。


祈りは・・・・
謝る事と同時に、自分が傷付けてしまった相手の傷が、癒える事を、無意識に強く祈っているものだと思います。


「傷付けてしまった自分を赦して下さい」・・という感情は、先ず湧いてきません。


「自分が赦される、赦されない」よりも、相手の傷の方がずっと気になる事柄です。

と、いうよりも、それしか普通、頭に無いものなのではないかと・・・私は思うのです。

それが、一般的な感覚だと私は思うのですが・・・





そう考えると・・・
私はクリスチャンと言われる方の中に、とても違和感のある感覚の方を時々お見かけします。


「過去、自分は様々な悪い事をしていたけれど、神様を信じる事によって自分は神様に赦されたのです
。有り難い事です。感謝です」

と、いう方々です。



物凄く違和感を感じています。



私の感覚では、自分が赦された赦されれて無いは、問題では無いのです。


気になるのは、自分が傷付けてしまった人のその後です。そして、自分が傷付けてしまった人を大切にしている人達の心の傷です。


自分が傷付けてしまった人が、今、幸せなら、それだけで充分で、自分が赦されたとか、赦されていないとかは、どうでも良いのです。




ジョン・ニュートンという人がいます。
アメイジング・グレイス」の作詞者です。

私は、この人の過去を知り、その後、この詞を読み返した時、ゾォ~っと鳥肌が立ちました。

過去にしてきた事に鳥肌が立ったのでは無く、その過去を踏まえて書かれた詞の内容にゾォ~っと鳥肌が立ったのです。


自分の様な者が赦されて有り難い。
自分の様な者が救われて有り難い。


どうでも良いのです!そんな事は!
まともな感覚の人間ならそんな事より、自分が殺した、傷付けた奴隷の人達の救いの方が、ずっと気になるのではないか・・・と、私は思うのです。


奴隷の人達の魂を思えば、口が裂けても、救われて有り難い、赦されて有り難いという様な種類の言葉は出てきようが無いと、私は思うのです。


奴隷商人をしていた頃と、奴隷商人を辞めて牧師になった時と、表面やする事は変わっても・・・


本質的には、何も変わっていない・・のです。


とても恐いです。


なので、私にとって、ジョン・ニュートンは、ただの、恐い白人のおじさんです。


それと同様に、
「過去自分は散々悪い事をしてきたけれど、神様はそんな自分を赦して下さったのです。有り難い事です!」

・・・・と、いう方々は、私にとって、ただの恐い人です。

「自分の様な者を赦して下さって有り難い」という、その言葉に、昔の悪かった頃と、本質的には何も変わっていないと感じるからです。


傷付けてしまった人の傷の痛みに、もがき苦しむ姿は、その言葉からは見えません。

又、傷付けてしまった人の傷の痛みに、もがき苦しんだ人からは、その言葉は出て来ません。


それは、傷付けてしまった人の傷の痛みに、もがき苦しんだ事のある人は知っています。



聖書の基本は、「人の傷の痛みに対する、はらわたが捩れる程の共感から」だと、私は解釈しています。


「私の様なものを赦して下さったから有難い」
という感覚は、聖書の教えから一番遠い感覚だと私は感じています。



「私の様なものが傷付けてしまった人達を、救って下さったから有難い」


そこにしか・・・
救いは無いように私は感じています。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦

最後に、お赦し下さいと祈る事と、私は赦されたと、そこに胡座をかく事は別物だという事を付け加えさせて頂きます。お赦し下さいと祈る事には違和感を感じていません。私もお赦し下さいと祈ります。
今日の記事は、そういう話では無く、別の論点で書かせて頂いた事も付け加えさせて頂きます。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦☆♦♦☆
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注意や批判に弱いクリスチャン達 コメント2

「人を批判してはいけません」
「人を批判する人間にならないで下さい」

よく聞くセリフ、よく目にする言葉です。

ところが・・・・
「人の批判をしてはいけません。」
「人を批判する人間にならないで下さい」

・・・・と、おっしゃる方で、人の批判をされていない方を、私は見た事がありません。
ただの1度もです。

批判に批判的な方が、随時人を批判なさっている事を、私は、とても不思議に思っています。

ひょっとしたら・・・
そういう方々は、ご自分が随時人を批判なさっている事に、お気付きになっていらっしゃらないのかも知れないと、感じたりしています。




ところで・・・・
皆様は、注意や批判にお強いでしょうか?
一般的には、注意や批判は、痛くて、頭で解っていても、心が聞き辛い種のものなのかも知れません。


私のいる世界は、たまたまですが、注意や批判が無いという事は、殆んど見捨てられているも同然なところがあり、注意や批判をして貰えると有り難い・・・という世界です。


私のいる世界が、特殊なのかも知れませんが、私にとっても、注意や批判は、とても有り難い種類のものです。

注意や批判をして頂けた時、自分の中で吟味して、取り入れさせて頂いたり、保留にさせて頂いたり、却下させて頂いたりしています。

なあなあが一番怖く、なあなあになってしまったら、だらしなく弛んで、向上は望め無い、仕事にならない、という世界なので、本当に注意や批判は有り難いのです。




私の事はさておき・・・・



注意や批判をされた時の反応は、本当に人それぞれです。

喜ぶ方もいれば、落ち込む方も・・・そして敵意を持つ方・・・本当に人それぞれです。
そんな中で、私がいつも不思議に思う反応があります。熱心なクリスチャンホームの方々の反応です。
あきらかに、他とは違うので、私も周りも目を丸くする事が多いのです。

プイっと、そっぽを向く。
睨み付ける。
まくし立てる。
ニヤニヤする。
ハハハと大声で笑う・・・。


注意や批判をなさっている方も、注意や批判とわからない位に気遣って、言葉や口調に気を付けていらっしゃるのに、それは失礼ではないかと、感じてしまう反応です。

何故、そんな対応をなさるのかとても不思議に思っています。


で・・・・
そんな熱心なクリスチャンホームの方々が人を注意したり批判なさったりしないかというと・・・

他の誰より、常に人を注意したり批判されているのです。


自分がされるのは嫌だけど、人にするのはOKというのは、おかしな話だと思っています。





注意や批判というものは、時にとても耳に痛かったりします。

しかし私は思うのです。

聞き心地の良い言葉よりも、耳に痛い言葉・・・
甘い言葉より、苦い言葉・・・

それらは時に、自分の宝になります。


確かに、ただの悪意の批判もありますが、そうでない批判も、沢山あります。

良いものもと、悪いもの(悪意のもの)の区別がつかない様では、神様が人を遣わして贈って下さった気付き迄も、サタンのもの・・!と言ってしまいかね無いと、私は思っています。



ただの悪意や意地悪で無い注意や批判は有り難いものです。
そして、怒りからくる批判も、時に私達に気付きを与えてくれます。



私は、耳に痛い言葉や苦い言葉を、

時には喜びながら、
時には落ち込みながら、
時には疑問を持ちながら、
時には反発を感じながら・・・


そうしながらも、有り難いものとして、
受け止める事が出来る者でいれたらと願っています(^.^)



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