偽善が奪うもの
人には、命より大切なものというのがある。
キリスト者でなくても、どんな信仰を持つ者であっても、持たない者であっても、
人には、命より大切なものというのがある。
慈善活動、所謂ボランティアというものをされている方々に対して、
「偽善的だ❗偽善者だ❗」と言う人達がいる。
それに対して、昔、まだ学生だった頃の私は、
「何故、そんな事を言うのだろう?」・・・と、
疑問に感じていた。
又、「もし偽善であったとしても、今、目の前の人達が飢えから救われ、寒さから守られ、淋しさから逃れる事が出来るなら、偽善であろうが無かろうが良い事ではないか」・・・とも思っていた。
その考えが大きく覆されるようになったのは、
卒業して、何年も何年も経ってからの事だった。
人は、飢えても奪われたく無い大切なものがある。
人は、寒さに震えても奪われたく無いものがある。
人は、孤独に悶えても奪われたく無いものがある。
人間として生まれ、人間として生き、人間としてこの世を去る迄、
人は、人間としての尊厳を保ち生きていきたい。
一切れのパンの代償に、
命より大切なものを奪われた時、
1枚の毛布の代償に、
命より大切なものを奪われた時、
淋しさを埋める代償に、
命より大切なものを奪われた時、
人は人として生きれなくなる。
偽善は、
命を助け、命より大切なものを奪う。
慈善活動(ボランティア)にしても、介護にしても、全ての事において、何かをする時、
人は人の命より大切なものを奪ってはならない。と、私は思う。
特に、クリスチャンと呼ばれる人達は、
自分は、本当に人が命より大切にしているものを奪っていないか・・・を、
心して自ら省みる必要がある・・・
と、私は感じている。
勿論、私も・・・
常に、心して省みる必要があると・・・
祈りのように自分に問いかける。
★★最後に、蛇足になりますが、言うまでもなく私は、慈善活動(ボランティア活動)を否定している訳ではありません。むしろ大肯定しています。
今日の記事は、その在り方について書かせて頂いています。誤解を招かぬ様、念の為に追記致しますm(._.)m。★★
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