なんだかんだ言って結局、手前味噌(コメント4)
なんだかんだ言って結局、手前味噌の話・・・
を聞くのが、私はとても苦手である。
というより、しらける。
最後まで聞いていてオチは、それか・・と、ガクッとくる。
けれど、
「なんだかんだ言わず手前味噌の話」は、楽しかったりする。
とてもチャーミングで微笑ましく感じ、その無邪気
さに、ほっこりしたりする。
いちばん敵わないのが、
「自分のした施しについての、なんだかんだ言って結局、手前味噌」の話である。
これをされると、しらけるを通り越して、冷々とした気持ちになる。
クリスチャンと呼ばれている人には、何故かこの、「自分のした施しについての、なんだかんだ言って結局、手前味噌」の話をする人が多いな・・・と感じている。
施された側は、まさか自分が施して貰った事を、
その人が、外部でメガホンを持って演説しているとは夢にも思わないだろうな・・・・と思うと胸が痛くなる。
冷々とした気持ちを通り越して、気持ちが凍りそうになる。
昔・・・
私が子供の頃、母から教えて貰った言葉がある。
「右の手でしたことを、左の手に伝えるなかれ」
・・・だいぶ後になって聖書の言葉だと知った。
母も、「そうしなさい」と、私にこの言葉を教えたわけではなかった。
「私、この言葉好きなのよぉ~。そうよねぇと思うのよぉ~」と、どこまでも呑気なノリで教えてくれた。
クリスチャンには「なんだかんだ言って結局、手前味噌の話」をする人が多い・・と、言いながら、
・・・・・・・・。
右の手どころか、右の指1本でした事も、
「ホラッ❗ホラッ❗私、こんな事したのよ。偉いでしょ❗凄いでしょ❗」
と、街中に出てアピールしたい私である。
恥というものを、何処かに捨ててきたのかも知れない。
しかし・・・・
いくら受けねらいをしたい関西人の私であっても、
施しをした事を、受けを狙ってネタにして、
相手をシラッとさせたり、冷々させたあげく、
話しを聞いてくれている人の気持ちや、施しをした相手の気持ちを凍らせないようにしなけば・・・・
と、あらためて自戒の念を持つ今日この頃です。
皆様の明日が良い日でありますように・・・(^.^)
おやすみなさいませ✨
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