上品で、可愛くて、おおらかで、屈託がなくて、親切で、優しいあの娘 コメント2
あの娘はとても優しい娘。
人には親切で、人懐っこい可愛い娘。
人を疑うことも知らなくて、
人の良いところばかり見える、おおらかな娘。
そして、とても品の良い娘。
あの娘の両親は、あの娘の事を、
とってもとっても大切に育てた。
人を妬んだり、人に敵意を持ったり、損得勘定で人を見る様な娘にはならない様にと、お金を惜しまずに、あの娘を育てた。
あの娘は、自分がお金持ちだと知らない位に、おっとりと豊かに育てられた。
お金持ちだという意識さえ持たない、本当のお金持ちの娘だった。
彼女の孫の孫迄、何もしなくても食べて行ける本当のお金持ちだった。
成金さんのお嬢さんではなかった。
だから、お金持ちを鼻にかける事も知らない、上品な娘だった。
心の品格が備わった娘だった。
勿論、貧しい人や、弱い人にも、とても優しい娘だった。
彼女は本当に、いい娘だった。
みんなが言った。
「やはり育ちが違うわね。育ちって大事ね。」
・・・・・・・。
あの娘のパパは、有名な会社の社長だった。
あの娘のおじいちゃまは、その会社の会長だった。
あの娘の、ひいおじいちゃまは・・・・
武器商人だった。
「育ちが違うから、あんなに上品なのね」
「育ちが違うから、あんなに優しいのね」
「育ちが違うから、あんなに可愛いのね」
「育ちが違うから、あんなに明るいのね」
「育ちが違うから・・・・・・・・」
優しさも、品性も、明るさも、おおらかさも、親切な人柄さえも・・・・
何ひとつ、自分の力で身に付けたものではない。
才能や、努力する力さえも、何ひとつ自分の力で身に付けたわけではない。
優しさ、品性、明るさ、おおらかさ、親切な人柄、努力と力、才能・・・・
全ての良いものは、神様からの送りもの。
下品で人を妬む卑しい人間も、あの娘と同じ育ちをしていたなら、上品で、明るくて、親切な人になっていたかも知れない。
上品で、明るくて、親切な人間も、違う育ちをしていたなら、下品で人を妬む卑しい人になっていたかも知れない。
育ちは自分で選べない。
育ちで身に付けた良いものは、何ひとつ誇れない。
ひょっとしたら、その育ちの陰で、沢山の命が失われていたのかも知れない。
あなたの美しい品格は、武器で殺された沢山の命の犠牲の代償なのかも知れない。
人は、どんな良いものも、誇れない。
全て、その人の力で得たものは無い。
全ての良いものは神が与えたもうもの。
ならば・・・・
全ての良いものは、全ての人と分かち合うためにある。
全ての良いものは・・・・
「自分のもの」ではない。
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私は、まだ10代の頃、努力して何か成果をあげた人の事を、それはその人の力で頑張ったのだから、その人は、努力しない人より素晴らしい人だと思っていました。
又、品の悪い言葉遣いをする人を、何て下品な人なのだろうと、呆れていました。
20代、30代と、世の中の仕組みを知るにつれ、私は今迄の自分の考え方に疑問を持つようになりました。
何ひとつ、人は自分の力で得たものは人は無いのだと・・・世の中の仕組みを知るにつれ感じざるを得なくなりました。
イエス様のおっしゃる価値観は、そういう意味で、全くその通りだと感じます。
今は全ての人に与えられ、自分にも与えられた良いもの、美しいものは、自分のものでは無い。と本気で思っています。
どの人であっでも、そうであると思っています。
全ての良いもの、美しいものを、全ての人が共有し合う世の中であれば、本当に素晴らしいだろうと思っています。
あなたの良いものに感謝を込めて・・・・
最後までお読み頂いて、有難うございましたm(._.)m
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