私は信仰について、あまり深く考えません。コメント2
私は信仰について、あまり深く考えません。
心の琴線に触れたことだけが、私にとって真実です。
イエス様の生涯を想うときの哀しさと、
マリア様の生涯を想うときの痛さと悲しみだけが、私にとって真実です。
救われるとか、選らばれたとか、クリスチャンだとか、クリスチャンではないとか、私はあまり関心がありません。
イエス様の悲しみだけが私の真実です。
マリア様の傷みだけが私の真実です。
イエス様とマリア様の悲しみと傷みに泣く自分の心だけが、私にとって真実です。
悲しみと傷みなのに・・・
私は、そこから深い安らぎを得ます。
私の希望は、そこから生まれます。
悲しみと傷みと絶望からしか、希望は生まれない様な気がしています。
悲しみと傷みと絶望が、深ければ深いほど、希望の光はたしかものになるように感じています。
イエス様とマリア様の悲しみと傷みと絶望は、私にとって、希望の光が確かなものだという確信を与えてくれます。
上手く、言葉で表現出来ません。
言葉にしたとたんに、嘘っぽくなってしまいます。
言葉の限界を感じます。
私にとって、イエス様の悲しみと傷みだけが真実です。
私にとって、マリア様の悲しみと絶望だけが真実です。
それだけが・・・
私にとっての真実です。
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