metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

「傍観する」という消極的な虐待への加担 コメント2

飢えている子をみたら
食べ物を与えるだけで充分だ。


泣き叫んでいる子をみたら
涙を拭ってやり抱きしめるだけで充分だ。


怪我をしている子をみたら
手当てをしてやるだけで充分だ。



何もしなければ、
何も変わらない。



飢え、怪我をしたまま、泣き叫ぶ子供は
飢えて、怪我をしたまま、泣き叫んだまま
そこにいる。



心が痛みに耐えきれず、突き動かされるように
食べ物を与え、涙を拭って抱きしめ、怪我の手当てをする。



それだけで充分だ。




何もしなければ、
何も変わらない。



飢えたま、泣き叫んだまま、怪我をしたまま
そこにいる。


教会にも、日本にも、遠い国にも・・・
飢えたまま、泣き叫んだまま、怪我をしたまま
そこにいる。



目の前にいる、その子にさえ
何もしないなら、遠い国のあの子にさえ何も出来ない。


飢えたまま
泣き叫んだまま
怪我をしたまま
その子はそこにいる。


誰にも隣人になって貰えない子が
そこにいる。





食べ物を与えられ
涙を拭われ抱きしめられ
怪我の手当てをして貰ったその子は、


やがて、誰かに食べ物を与え、誰かの涙を拭い抱きしめ、誰かの怪我を手当てをする。

誰かの隣人になる。


未来への希望・・・・。




食べ物を与えられた子が
食べ物を与え、
涙を拭って抱きしめられた子が
涙を拭って抱きしめ、
怪我の手当てをして貰った子が
怪我を手当てをする。


一筋の光。


闇の中の光。





何もしなければ・・・
何も変わらない。



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