山上の垂訓の「アシュレー」あるがままでOKで良かった(^.^)
~でなければならない。
~で、あらなければならない。
~のようでなければならない。
・・・・・苦手である。
・・・・・無理である。
私は私でしかない。
私は私以外の何者のようにもなれないし・・・
実は・・・不遜かも知れないが、私は私以外の何者のようにもなる気はなかったりする(^^;
皆様は、どうなのであろうか?・・・。
そんな私にとって、イエス様の山上の垂訓の箇所は、大きな励みになる。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
(心)の貧しい人々は幸いである・・・
悲しむ人は幸いである・・・
・・・・
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
「幸い」と訳された、「アシュレー」というヘブライ語。
直訳すれば、「そのものがあるがままにある」とか、「そのままで・・・」という意味だという事は、皆様も良くご存知の箇所なのだが・・・
何故、「幸い」とか「祝福」とかに翻訳家の方々は訳されてしまったのだろう・・・と思うと同時に、余りに親切過ぎる訳の為、言葉の真意が余計に伝わり辛くなってるかも知れないと、素人考えの傲慢さで、僭越な疑問を感じたりもする。
どちらにしても、翻訳をされた方々の心を砕かれたお仕事の苦労と労力には頭が下がる。
大変なお仕事でらっしゃるのだろうと思う。
さて・・・・
「アシュレー」:あるがまま・そのままで・・・
なら・・・。
私にピッタリ!である。
(心)貧しい私。
悲しむ私。
義に飢え渇く私?(^^;(^^;。
あるがままで、・・・というなら、
私の場合・・。
貧しい私は、ひたすら豊かになりたいし、強くそれを望む。そして、その為に出来る事があるなら、あるがままの私の感性でもって突き進む。
悲しむ私は、悲しみから少しでも癒されたい。
あるがままの悲しみの中で慰められるなら有難い。
不義な状態に置かれていることを納得出来ない私は、(義に飢え渇く)、ありのままの私が不義だと思う事には、堂々と不義だと訴える。
弱い時の自分を、あるがままで受け入れて・・・
そこから思う事を全てあるがままに受け入れて・・
そこから、しようと思う事に対して、安心して突き進んで・・・
全て、全てを受け入れる。
安心して受け入れる。
力が無いから力が欲しいと受け入れて突き進む。
豊かで無いから豊かさを堂々と求める。
不当に扱う人に対しては、しっかり不当だと伝える
それが私の、あるがまま。
貴方が弱い状態に置かれているなら、あるがままの貴方の感性で突き進め、それで大丈夫だと言われるイエス様の言葉。
とても、心強い。
「アシュレー」・・・。
好きな言葉である。
ありのままでいたいと思う。
そして、私は・・・
今、弱い立場で泣いている、
ありのままの貴方のことが・・・
ありのまま戦っている貴方のことが・・・
大好きです。
ランキングに参加しています(^.^)
下のバーナーをポチッとクリックして応援して頂けると励みになります(*^^*)