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metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

聖書解釈いろいろ・・聖書の中の「よい」「わるい」

聖書解釈というのは、本当にいろいろである。
専門家の方々の解釈を色々読めば、その読んだ数だけ、解釈があったりする。

大抵、ギリシャ語、ヘブル語他、もっと細かく分類した言葉から、解釈を導きだす。

そんな数ある解釈の中から、日本語のどの言葉を当てはめて訳すかという作業は並大抵ではないだろうと思う。
本当に翻訳家の方々の苦労と労力には頭が下がる。


牧師の先生方も、つまるところ、自分が習われた宗派の神学による翻訳の解釈から、信徒さん達に「聖書にこう書いてあります」・・・とお説教をされるわけである。

どんなに神学を軽くみても、「聖書にこう書いてあります」と言う以上、その神学の解釈の上に、その人の言葉は成り立っているのである。


しかし・・・
時に、既定の神学から離れて、もう一度、原語そのものと原意を見直し、研究し追究される学者の方々や、牧師の先生や神父様がいらっしゃる。
所謂、プロフェッショナル中のプロフェッショナルな方々である。

既定の神学に頼らない、「真実の追究」に挑む方々であり、神学そのものの見直しをされている方々である。
そういう方々の書物を読ませて頂いて感じるのは、おそろしい迄の勉強力と「真実の追究」に対しての熱い情熱である。

そして・・・そういう方々は大抵、真実よりも既定の神学を大切に思う者達から、「異端児」として扱われていたりする。

しかし、そういう方々の書かれている書物は、読んでいて説得力が違う。
又、そういう方々のお話は、聞いていても説得力が違う。

そういう方々の一番の関心事は「真実」であるから、質問をしても、一切の誤魔化しがない。
取り繕いもしない。
わからない事はわからないとハッキリ言われる。
「いいかっこ」が一切ない。

清々しさを感じると同時に、人としての、その品位の高さを私は尊敬する。

そして最近では、そういう方々の話を熱心に聞き、
「真実の追究」をされる人達が増えてこられている事に私は大きな喜びを感じている。

キリスト教も、ひょっとしたら、今又、過渡期なのかも知れないと・・思ったりする。




そんな「真実の追究」に励まれるプロフェッショナルな方の中のお一人の聖書解釈で、私が、とても納得している解釈がある。

許可を得ていないので、お名前は出せないが、次の様な解釈である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

聖書の、「よい・わるい」について。

聖書に出てくる「善い」には2つある。
「善い」と「良い」である。

ギリシャ語でも「善い」はアガトスであり、「良い」はカロス・・・と、使い分けられている。

おまけに、「善い・アガトス」の対義語は「抑圧的な悪を表す・ポネロス」。

状況的な「良い」を表す「カロス」の反対語は「カコス(適切でないなど)」。

と、ハッキリ使い分けられている。

しかし、聖書では時に、「良い・カロス」を「善い」と書かれていたりする。

ロマ12・9の「善」とロマ12・17の「善」とは、ハッキリ違う言葉で、意味も違うのである。
ロマ12・9は「ポネロス」でロマ・17は「カロス」である。

当然、訳も違ってくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上のような事である。
で、どのように訳されたか長くなるので控えるが、私は凄く納得である。


どの牧師の先生も、上記の様な事は当然、ご存知である。


私は言いたい。
ならば、どうして、カロスをポネロスと解釈されて、信徒に説教されるのかと・・・。
たまに、カロスはカロスと、そのまま信徒に説教される方もいらっしゃらる。
しかし、ほとんどの牧師の方が、カロスをポネロスと解釈されて説教される。


私達は、聖書に関しては素人なのである。
貴方の解釈などより、そのまま聖書に書いてある事を知りたいのである。

全て、既定の神学にしがみつき、「真実の追究」に目を向けようとしない事が原因の様な気が私はしている。
既定の神学の見直しを試み、「解放の神学」「民衆の神学」「痛みの神学」「下からの神学」「女性の神学」「荊冠の神学」など、どんどん専門家の方々が「真実の追究」に力を入れて追究して下さる事に私は心から感謝している。

合っているにせよ間違っているにせよ、その「真実の追究」は必ずいつか良い結果に繋がると私は信じている。

もう一度言う。
私達は素人なのである。

本当の事を・・そのままを知りたい。



人との関係で色眼鏡をかけていたら、相手の本当の姿は見えない。
聖書との関係で既定の眼鏡をかけていたら、聖書に書かれている言葉そのものは見えない。

色眼鏡を外して付き合いたい。
既定の眼鏡を外して関わりたい。


人と誠実にに向き合うとは、そういう事だと思う。
聖書と誠実に向き合うとは、そういう事なのだと、
・・・・私は思う。


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