metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

痛め付けられた羊が違和感を感じる教会

お気楽なものである。

食うに困る人の声に耳を傾けず、
着るに困る人から目を反らし、
住むに困る人から身を隠し
見向きもされない人の友にならず、


そんな者達が、教会の中で、お気楽に神を賛美する


食うに困る人の食事を食べ、
着るに困る人の服を着、
住むに困る人の宿を奪い、
見向きもされない人の友を取り込み


教会の中で神を賛美する。


気にしなくていいよと、賛美する。




手負いの羊達は、ここに居場所は無いと教会を後にする。


手負いの羊達と、その仲間のいる場所にたどり着いた時、手負いの羊はやっと眠りにつく。


手負いの羊達と、その仲間の笑顔と笑い声は、あの後にした教会の笑顔と笑い声とは違った。


力を貰える笑顔と笑い声だった。





お気楽な私は・・・
奪いながら神を賛美する者達の群れから外れて、ひとりになる。


ひとりぼっちで、あの手負いの羊のいる懐かしい場所に歩いて行く。





今日も奪いながら賛美する者達の声が聞こえてくる。


背中から、それでいいじゃないか、気にする必要などないじゃないかという声が聞こえてくる。




私は・・・
あの手負いの羊達がいる懐かしい場所に・・・

 
ひとりで帰る。



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