「御国がきますように」が、いつのまに・・・ コメント2
主の祈り・・・。
大好きな祈りである。
この短い祈りの中に、自分の思いが全て表現されている。
私にとってパーフェクトの祈りである。
「御国がきますように」・・・
いつのまに、「御国に行けますように」・・・
に、なったのであろう・・。
あなたの国が、きますように・・という祈りは、この世にいる私達の切実な願いである。
それが何故、いつのまに「御国に行けますように」
・・・という祈りに変わってしまったのだろう。
「御心が天で行われる様に地でも行われますように」・・・と続く祈りは、この世に対しての切実な祈りである。
あなたの思いが、天と同様に地でも行われる様にという願いは、しっかりと、この世の生活に根付いた祈りである。
殉教者達は、「天で行われることが地でも行われる」ことを切望し、その為に命を捨てたのである。
まさしく、「死んで生きた」のである。
生きるために死んだのである。
天ばかりを見て、地(この世)を見ないなら・・
そして、地(この世)を見て何もしないなら・・
クリスチャンの言葉なんて空しいばかりである。
何の意味も持たない。
天の「御国」ばかり見て、地を見ず、そして地を見ても何もしないで、
「御国に行けますように」とばかり祈るなら、
「御国がきますように」という祈りは、意味がなくなってしまう。
天の「御国」ばかりを見て、地を見ないなら、
そして見ても何もしないなら・・・
殉教者の死は、無駄死にになってしまう。
「御国がきますように」という祈りを、意味のないものにしてしまってはいけないと、私は思う。
殉教者の死を、無駄死ににしてしまってはいけないと、私は思う。
「地」を、「この世」を、しっかり見て、あなたの国が少しでも実現する様に働く・・・・。
あなたの思いが行われるこの世になる様に、働く。
それがクリスチャンだと・・・私は思う。
ランキングに参加しています(^.^)
下のバーナーをポチっとクリックして頂ければ励みになります(*^^*)👇