metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

私が考える日本のクリスチャン人口が少ない具体的理由1・【ごあいさつ】

「ごあいさつ」は、人間関係の中の基本のひとつだと、私は思っている。

「おはようございます」「こんにちは」「御無沙汰しています」「やぁ❗」「久しぶり~(^.^)」などなど、TPO によって表現は色々であるが、コミュニケーションの最初の窓口だと思っている。

そして、貴方と友好的なコミュニケーションを持ちたい・・・と、思う時、「ごあいさつ」は、感じの良いものとなる。



では、クリスチャンの「ごあいさつ」はどうかというと・・
一言でいうと「物凄く感じが悪い」のである。

例えば・・・
🍀初対面の指導者に対して、ポケットに
 手を突っ込んだまま、いきなり「ほんで、自分さ
 ぁ・・・」😨😨😨

🍀「お世話になってます~」と言いながら、目も見ず歩きながら横を通りすぎる😨

🍀「こんにちは(^_^)」と、挨拶したら「あっ」とだけ言って顎をしゃくる😨


🍀挨拶をしても、目も見ず、まるでそこにいないかの様に無視する😨

🍀「おはようございます」は、いいが、殆どケンカ口調😨


上記は全てクリスチャンが私にした事である。
おまけに、全て別々のクリスチャンの方々である。
ニコリともしない、上記の様な「ごあいさつ」に
出会った私は、最初、随分悩んだ。

私がきっと何か気に障る様な事をしてしまったのだ・・・何だろう・・・と。



しかし、ノンクリスチャンの人から、
「どうして、あの人は私にあんな態度をとるのかしら❓私、何か気付かずに、嫌な事してしまったかしら❓」・・・と、相談を受けた時、あぁ、私にだけでは無いんだ・・.と分かった。


その後、数年にわたり、ノンクリスチャンの方々からの怒りの声を聞くこと12名・・・・

「あの人いったい何様なの❗」
「あんなに気分の悪い思いをしたのは初めて❗」
「二度と会いたくない❗」
「悪すぎる。出入禁止❗」
男性に至っては、「あの勘違い男」・・・と辛辣である。

上記は全て、別々のクリスチャンの「ごあいさつ」に対しての、ノンクリスチャンの反応である。


一番印象に残った、ノンクリスチャンの言葉は、
「彼は僕に凄い敵意を持っている様に感じる。兎に角、何か分からないけど敵意を感じる」・・・
という言葉である。

鋭い❗・・・そのとおり❗


では、クリスチャンの方々が、ちゃんとした「ごあいさつ」も知らない人達なのか・・・といえば・・・実は、そうではないのである。


クリスチャン同士では、とても感じ良く友好的に「ごあいさつ」を、しあっているのである。




私は、人に自分がクリスチャンであるという事を伝えていない。私の事をクリスチャンだと知っている人は、殆どいない。

なので、あの、世にも不思議な「ごあいさつ」を、私にしたクリスチャンの人達も、私はノンクリスチャンだと思っている。

あの、クリスチャンがノンクリスチャンに対してする「ごあいさつ」の感じ悪さは、ノンクリスチャンにしか経験出来ないのかも知れない。

感じが悪いくらいなら、まだ、やり過ごせる。


しかし、あの「ごあいさつ」を仕事の場でやられると、非常に困る。

取引先からクレームが絶えないのである。

外部の人と関わる仕事に采配した側にも大いに責任はあるが、全く外部と関わらせないという事が、仕事上、出来ない時もある。


困り果てた私は、ある日、あの「ごあいさつ」をする、クリスチャンの新人さん(仕事の)と、膝をつき合わせて話をした。


新人さんに聞いてみた。
何故そういう「ごあいさつ」をするのかと・・・。
答えは驚くべきものだった。


「教会で、ノンクリスチャンは神の敵だと教えられているんです。ノンクリスチャンはサタン側の人間だと・・・自分達の本当の仲間はクリスチャンだと・・・多分そういう気持ちが自分の中にあるから無意識に、そういう、ごあいさつになったのだと思います。教会の人達もノンクリスチャンには、そういう感じで接しているし、それが良い事だと思っていました」・・と、新人さんは私に答えてくれた。


本当に驚いた。


私は、その新人さんに、
「信仰の自由は誰にでもあるので、貴方がそう思うなら、それで構わない。けれど、その教えは、この仕事とは両立しない。どちらを選ぶかは、全く貴方の自由。私も貴方の信仰を尊重するから、貴方も私達の仕事を尊重してね。どちらでも構わないので、良く考えて又、お返事を下さいね」
・・・・と、伝えた。


暫くして、その新人さんは、教会から離れた。


一年して、その新人さんは、
「あの頃の自分を考えると、何と嫌な人間だったのだろうと自己嫌悪に陥る。けれどまだ、無意識にあの嫌な感じをしてしまう事があったら、教えて欲しい。長年にかけて身に付けてしまったものなので、無意識に態度として出てしまうのが恐い」
・・・・と、私に言った。



あのノンクリスチャンの言葉は、当たり、だったのである。


「敵意を感じる」




クリスチャン、ノンクリスチャンの線引きがある間は、この「嫌な感じ」は必ず形になって現れると、私は思う。
0・1%でも、ノンクリスチャンはサタンに支配されている人達だという思いがあれば、必ず「嫌な感じ」の言動を、どこかでしてしまうだろうと私は思う。

例え、「ごあいさつ」を上手くクリア出来たとしても、どこかで必ず、その思いは形になって現れるだろうと、私は思う。


「嫌な感じ」の人達の集まりになんか、殆どの日本人は、行きたいとは想わない。

行きたいと思う人は、そういうのがカッコイイと思う人か、元々世の中に敵意のある人か、そういう所でも関わりを持ちたいと思う程に寂しい人、くらいだと思う。

私としては、寂しい人を、そういう所に誘わないで欲しいと切に思う。
寂しい人には、負けないで❗と思うと同時に、その人に寂しい思いをさせている自分が情けなくなる。


どちらにしても、
比較的、行儀が良くて、良心的意識の高い日本人は気質的に、そういう所へは行きたいとは思わないだろうと、私は感じる。

日本のクリスチャン人口が少ない理由は、具体的に、こういう理由も大いにある・・・と私は思う。





最後に、クリスチャンの4割位は、上記のタイプと正反対で、クリスチャン、ノンクリスチャンの線引きがなく、「ごあいさつ」も、友好的でとても感じが良い。極端から極端の様に私は感じる。
   (4割というのは私の主観的感覚です)







タラタラとした長い文を、最後迄お読み頂き有難うございましたm(._.)m 


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