metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

クリスチャンであるが故に人を誉めれない人達

皆様は、人を誉める(褒める)ことは、お好きであろうか? 私は比較的好きな方である。

美味しいお料理を頂けば、「ママさんのお料理いつも美味しい~❗」
美しいダンサーを見れば「なんて綺麗なの❗夢のよう❗」
スポーツで頑張っている人を見れば「そんなに頑張れるって凄いね❗」
他、優しくて素敵な人ね・礼儀正しくて素敵ね・気さくでフレンドリーで素敵ね・落ち着いていて魅力ね・・・・・・
など、褒めるという意識さえなしに、感動した時は口に出る。
勿論、誰かを褒める事で、傷つく人がいる場合は、思っていても口に出さないのは、言わずもながではあるが・・・

人を誉める(褒める)のが苦手な人がいる。
照れくさかったり、普段言い慣れていなかったり、他、わざとらしいと思われたくなかったり、お世辞と誤解されるのを恐れたり・・・
理由は色々であろう。
しかし、たとえ口には出さなくても、思いというのは案外伝わるものである。
人を誉めるのが苦手な人から流れてくる空気は温かく心地よかったりする。


しかし・・・・
「人を誉めたくない」という人がいる。
面白いことに、人を誉めたくない人は、「自分だけ誉められることが大好き」である。



さて・・・
数ヵ月前、面白い礼拝説教を聞いた。
話の流れは、ノンクリスチャンが何か素晴らしい事をしたらしい。
その話をした後の牧師の先生の言葉は次の通りである。

「皆さん、本当だったらノンクリスチャンは、そういう素晴らしい事をしないで、クリスチャンが素晴らしいことをした・・と、言いたいですよね。ノンクリスチャンはダメで、クリスチャンだから素晴らしい事をしたんだと、皆からも思われたいですよね。でも残念ななことに、この素晴らしい事をしたのはノンクリスチャンだったんです。」

(-""-;)(-""-;)(-""-;)
一瞬冗談だろうか?・・・と、耳を疑ったが、冗談ではないらしい。牧師の先生は、いたって大真面目にお話をされているようである。(-""-;)


牧師の先生は、
🍀ノンクリスチャンが素晴らしいことをするのは残念なことと感じていらっしゃる。
🍀素晴らしい事をするのは、クリスチャンのみであるのが好ましい。
🍀世の中の人に、ノンクリスチャンはダメでクリスチャンは素晴らしいと思って欲しい。

・・・・と、考えていらっしゃる事がよ~くわかった。

クリスチャンだけが誉められなければ、お嫌らしい(^^;
ノンクリスチャンが誉められるのは、とても残念なことらしい(^^;


断っておくが、牧師の先生方の多くは、こんな冗談の様な事は思っていらっしゃらない。はずだ・・・
しかし、この冗談の様な事を本気で思っているクリスチャンや牧師の先生が少なからずいるのも現実なのである。

そういったクリスチャン達は、誰かが何か功績を収めると、必ずケチをつける。
又、誰かが誉められると落ち込んだりもする。

そして、巧妙な自慢話が始まる。

よ~く聞いていれば、自分や自分の仲間のクリスチャンが、いかに素晴らしいかという話である。
そして、世の中の人がいかにダメかという話を、これまた巧妙に始める。

・・・・これで人に嫌われない筈がない(-""-;)

世の中とますます摩擦を起こし、トラブルメーカーになっていく。



要するに・・・・

そういったクリスチャン達は、ノンクリスチャンが嫌いなのだ。
どんなに相手が素晴らしくても、嫌いな人間を誉めることは難しい。

シンプルである。
自分達クリスチャン以外は嫌いなのである。

嫌いは嫌いで構わない。
誰だって嫌いな人はいる。
嫌いな理由は色々あろうが、無理して好きになろうとする事はない。
無理して好きになろうとしても、それはやはり嘘で、嫌いは嫌いなのである。

ノンクリスチャンの人達も、「あ~私達の事は嫌いなんだな・・・じゃあ上手に距離を置こう・・」
と、大人の判断で今後は対応してくれる。



けれど・・・どうしても気になる事が、ひとつだけある。


そういう親達に連れられて教会に行く子供達である。
小さい頃から、ノンクリスチャンに対する嫌悪感を植え付けられる。

当然、学校でも嫌われ、辛い思いをする。
しかし、子供達は何故、自分が嫌われるのかが解ららない。
悪い事に、何故嫌われるかが解らないから、やはりノンクリスチャンは嫌だという気持ちが確信になっていく。
そうして大人のなってゆく。


ある日・・・
そうして大人になった青年が、キッパリ教会とも教会の人達とも縁を切った。
教会に在籍していた頃、彼は、仕事でトラブル続きで周りから嫌われ、とても苦しんでいた。
彼は、何故自分が嫌われるのかが解らなかった。
解りはじめて、教会と縁を切った。



彼は私に言った。
「あの教会を離れて本当に良かった。今、考えると心底嫌になる。あの教会に居たという過去さえも僕は消してしまいたい」・・・と。



彼は今、皆から可愛がられ、毎日、楽しく仕事をしている。



クリスチャンの貴方は、そんな彼を、
「世の価値観に流され敗北した」・・・と言われますか?  


大変僭越な案だということを承知で申し上げます。



「貴方は本当はノンクリスチャンのことがお嫌いですか?」
胸に手をあてて、考える機会をお持ちになるのも・・・   一案かと思います。



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