読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

metanoiaxの日記

クリスチャンの立場からクリスチャンへの疑問や、やるせなさを綴っています

「あなたは罪びとです」と言うクリスチャン。どうにかならないのか・・・。

教会に行き、「あなたは罪びとです」「あなた方はは罪びとなんです」というセリフを牧師の先生から聞いた事が無いというクリスチャンは、とても少ないであろう。 殆んどのクリスチャンは一度ならず、何度も聞いているのではないであろうか?

どうにかならないのか・・・と、思う。



人が、初めて教会の門を叩く理由はそれぞれである。
友達に誘われたから・・・
興味があったから・・・
親がクリスチャンだから・・・
理由は千差万別であろう。

その中に、罪の意識にのたうちまわり、苦し過ぎて教会の門を叩く・・・という人が少なからずいる。という事を牧師の先生が、ご存知無い筈がない。
牧師の先生でなくても、そういう人が少なからずいるという事を多くの人が知っている。

「神様の目からご覧になると罪びとなのです」とか、
「世の中の基準では罪人ではなくても・・・」とか、
そういう話ではない。


神様の目からご覧になって罪びとであろうがなかろうが、世の中の基準で罪人であろうがなかろうが、
とにかく、本人は罪意識で「生まれてこない方が良かった」・・・と迄、追い詰められているのである。

そして、誰が自分を許しても許さなくても、自分で自分を許しても許せなくても・・・
この世に一人も自分を受け入れてくれる人がいなくても・・・
自分で自分を受け入れることさえ出来なくても・・イエス様だけは、そんな自分の痛みに寄り添い抱きしめてくれることを、その人は知っているのである。

聖書を全く読んだことが無くても、牧師の先生の話を聞いた事が無くても、その人は、イエス様だけは自分に寄り添ってくれるということを知っているのである。

そういう人達にとって、「呼ばれる」と、いうのは本当にピタッとくる言葉である。実感である。
まさしく、イエス様に「こっちへおいで」と呼ばれて、倒れそうな足取りで泣きながらフラフラと教会の門を叩くのである。

門に入った後、
「人は皆、罪びとなのですよ・・・貴方だけではないのです。貴方も私も皆、同じですよ。」
これなら良い。これは罪意識で打ちひしがれている人に対しての慰めであり、希望の扉を開くきっかけになるかも知れない。

しかし・・・
「貴方は罪びとなんです❗貴方は知らなかったでしょうが、世の中の基準では罪人で無くても神様の基準からご覧になったら貴方は罪びとなんです❗わかりましたか❗」

これでは、不治の病に苦しんでいる患者に、
「貴方は不治の病なんですよ❗医学を知らない貴方にはわからないかも知れませんが、貴方は不治の病なんです❗わかりましたか❗」
と、言っているのと同じなのである

当然、その患者は、そのドクターから離れて別の所へ行くであろう。

そして、当然、罪意識でのたうちまわって教会の門を叩いたその人も、失望して教会から去るであろう。



私の個人的な意見だが、
教会の門を叩く前に、罪意識でのたうちまわった経験の無い人は、人に「あなたは罪びとなんです」というセリフを決して言ってはいけないと思っている。
又、教会の門を叩く前に、罪意識にのたうちまわった経験のある人は、人に対して「あなたは罪びとなんです」とは、決して言わないであろう。

教会の門を叩く前に、罪意識でのたうちまわった経験の無い人は、イエス様を信じたら、その罪意識から救われたという経験が、当然無いのであるから、「イエス様を信じたら救わるから信じなさい❗」など、言ってはいけないと、私は本気で思っている。 
出来ることは、その人の痛みに寄り添い祈ることだけである・・と、私は思う。
それしか出来ない筈である。
後は、神に委ねることしか出来ない筈である。




ユダに対して、「自分が生まれて来なければよかった、と思うほどだ」と、自分を十字架にかける相手に対して強い痛みと悲しみと絶望の共感をせずにはいらっしゃれなかったエス様・・・。
だからこそ、罪意識にのたうちまわっている人間は、イエス様のところに行くのである。


ユダを通らなければ、イエス様にお会い出来ない人間など、世の中にはごまんといるのである。


そして、そういう人間をイエス様は、呼んでいらっしゃるのだと私は思う。

切実にイエス様を求めている人達である。切実に。

「あなたは罪びとなんです❗わかりましたか❗」
このセリフは、イエス様を求めた人間を、教会から追い返すセリフでもある。
イエス様の所に行きたい人間を追い返すセリフでもある。・・・.と、私は感じる。




しかし・・・・
そんな風に教会から追い返されたユダ達も、教会の外でイエス様と共にいるだろう・・・と私は思う。


教会の外で膝を抱え泣いているユダの肩を、イエス様は抱いていらっしゃるだろうと、私は感じる。



教会が、ユダを追い返しても、ユダが、イエス様から離れることはない。


私も・・・ユダである。




ランキングに参加しています(^.^)
下のバーナーを、ポチッとクリックして頂けると励みになります(*^^*)👇👇👇

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村