「先に救われた私達」という上から目線
「先に救われた私達が、まだ神様をご存知でない方に、神様のことをお伝えしていかなければならないのです」
こういうセリフを、牧師の先生から、又はクリスチャンから、お聞きになられた方はどれくらいいらっしゃっるのだろうか?
最初にこのセリフを聞いた時、私は、
「な・なんと傲慢な」と、思わず引いてしまった。
そして、その気持は今でも変わっていない。
そう感じるのは、私だけであろうか?
皆様は、どうなのであろうか・・と、ふと思う。
「救われた」と思う気持ちは、非常に個人的なものである。
その人、本人にしか解らない気持ちであり確信である。
そして・・・
神様からご覧になって「救われている」という人は、神様ご本人しか、ご存知無いのである。
神様ご本人以外は、なに人にも解らないのである。
これも、前記事と同じで、クリスチャンから見て救われていないと思っている目の前の、ノンクリスチャンの方々の方が、神様の目からご覧になられたら時、実は「救われている」ということは、ざらにあったりするかも知れないのである。
例えば・・・
ノンクリスチャンの方が、自分は「救われている」
と、感じ、深い確信を持っていらっしゃったとする。
その気持ちと確信は、非常に個人的なものであるから、他の誰にも解らない、その人の確かなものなのである。
その、その人本人にしか解らない世界に対して、「救われていない」と頭から決めつけるクリスチャンの態度。
これは、失礼を通り越して、呆れてしまう。
これが「上から目線」でなくてなんなのだろうか。
自分の世界だけが「救われた」世界だと思い込んでいるクリスチャン。
自分が相手の世界のことを解らないからといって、「救われていない」ことにしてしまうクリスチャン。
時に、相手のことを解った様な気になっているクリスチャン。
こういうクリスチャンの方が多くいる以上、
「クリスチャンは傲慢で上から目線」と言われても仕方がないであろうと私は思う。
ノンクリスチャンの世界では、自分の解らない世界を頭から否定して、自分の世界だけが全てだとする考えの事を「ひとりよがり」と言う。
いったい、クリスチャンは何をやっているのだろ・・・・やるせなくなる。
(勿論、全てのクリスチャンの方がそうではありません)
イエス様は、この現状を、どう思われているのだろ・・・。
これは、誰にも解らないことだけれど・・・
私は、イエスが泣いていらっしゃっる様に感じる。
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